イタリア・サッカー界に蔓延る差別の実態と私が出会った”ほんの”一例

 2017/05/17

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5.捕まえきれない差別のほんの一例

最終的に、人が変わらないとどうにもなりません。イタリア人の考え方が変わらない限りは何をしても上から押さえつけているだけで何の意味もありません。陰に隠れて必ず行われます。そして差別問題は、差別が表出する時にしか問題となりませんが、普段から心の中にその気持ちが潜んでいること自体が問題なのであり、その次元のことが、注意や罰金などで止まるはずがありません。

サッカーに関する差別主義者は、すぐに人種が違うことをネタにして攻撃したがります。

例1:シュートを外せば「このクソ黒人が」と罵ります。プレーがどうこうではありません。彼が黒人であることが重要なのです。

例2:試合中スタミナが無くなれば「この黒人はクソだ」と罵ります。そこにわざわざ「黒人」という単語を足す必要もないのに、どこかで相手を蔑むネタを探しています。その格好の対象が「人種や肌の違い」です。

例3:サッカーゲームで弱い選手が手に入った時には「こんなアラブ人いらねえよ」と罵ります。ゲーム内の能力値は関係ありません。彼がアラブ人だから、能力のことを批判しやすいのです。

それが相手に伝わろうがそうでなかろうが知ったことではありません。とにかく差別的なことを言いたいのです。普段は普通の選手として見ている相手が、何かミスを犯したとき「待ってました」と言わんばかりに「黒人!」「日本人!」「アラブ人!」と水を得た魚かのように差別発言を繰り返します。そしてその顔は非常に気味の悪いものです。怒りもそうですが、薄ら笑いを浮かべていたりするとなお気持ち悪いです。

大変申し上げにくいのですが、これもほんの一例に過ぎません。私がイタリア人らしいイタリア人の若者たちとの付き合いが多いこともあり、「果たしてイタリア人はみんなどこかで差別しているのではないか」と考えてしまうこともあるくらいです。そう思うくらいには、常日頃から人種差別が「大好き」な人がいます。

考え続けるとなぜか胸が苦しくなります。こんな苦しみをたくさんの人から一斉に与えられた中でもプレーを続けている「黒人選手」の方が、よっぽど差別をする人間よりも優れていると、半ば「差別的に」考えてしまうばかりです。

参照

http://www.gazzetta.it/Calcio/Serie-A/06-05-2017/muntari-sfogo-trattato-criminale-mi-sentivo-isolato-200102898554.shtml

http://www.gazzetta.it/Calcio/Serie-A/Juventus/07-05-2017/benatia-offese-rai-lite-juventus-200141876942.shtml

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