16世紀のイタリア生まれである喜劇「コメディア・デラルテ」を日本で唯一鑑賞することができる、俳優大塚ヒロタさん主宰の「テアトロ コメディア・デラルテ」。
この記事では、本公演の様子や感想までをレポートいたします。
コメディア・デラルテとは
まずは前回の記事からコメディア・デラルテの基本を復習します。
コメディア・デラルテ(Commedia dell'arte)とは、16世紀にイタリアで誕生した喜劇。主に16-18世紀のヨーロッパにおいて人気が高く、一般庶民に非常に愛された演劇であり、当時の人々の生活と深く結びつき流行となった。
主な特徴について、BUONO!ITALIAでは ①ストック・キャラクターという仕組み、②即興性の高さ、③ ①②を組み合わせることによる「お決まり」と「期待の裏切り」の絶妙なバランス、と定義し、その魅力を説明した。
大塚ヒロタの「テアトロ コメディア・デラルテ」
テアトロ コメディア・デラルテの歴史
「テアトロ コメディア・デラルテ」は、俳優の大塚ヒロタさんが主催する演劇です。日本で唯一、イタリアの伝統文化であるコメディア・デラルテを発信しています。
テアトロ コメディア・デラルテについて
2016年3月創立。以来、主宰である俳優大塚ヒロタがNYで出会いイタリアで本格的に学んだイタリアの古典仮面喜劇『コメディア・デラルテ』と『現代演劇』を融合させたオリジナル作品を社会に発信し続けています。
その作風はあくまでも[人間本来の普遍的な笑い]を追求し続けており、そこにはその日、その時、その場で出会ったお客様と共に創り上げる楽しいシーンも盛り込まれます。まさに生の笑いと共感に満ちたスペシャルな舞台芸術です。
人種や言語の壁を超え、子供からお年寄りまで全ての人に楽しんでいただけるステージを目指しています。
TCD公式サイトより
2018年から開始された「テアトロ コメディア・デラルテ」は2021年には4回目を数え、これまで日本になかったコメディア・デラルテの文化普及や普遍的な笑いを追求しています。
※詳細な出演者情報は、TCD公式サイトをご覧ください。
スリーカピターノスについて
3人のカピターノ!
『スリーカピターノス』のメインキャラクターは3人のカピターノです!
- カピターノ・フラカッソ(演:大塚ヒロタ)
- カピターノ・パットン(演:板垣雄大)
- カピターノ・バスター(演:生島勇輝)
前回の記事の復習になりますが、「カピターノ(将軍)」は、「自分の戦歴や経歴の自慢ばかりをしているが、実際はとっても臆病者で頼りにならない」というストックキャラクターを持っています。
そのカピターノが3人いて「3カピターノス」なんだから、全員揃いも揃って強がりで偉そうにするクセにとってもビビり(笑)しかもゴキブリが出ただけで全員阿鼻叫喚。お互いに意地を張ったり自慢をしながら、お互いにイジりあったり支え合ったりして、とにかく笑えます。
また大塚ヒロタさんは、この劇において、カピターノ以外にもアルレッキーノ(道化師)、ヴェッキ(欲深い老人)、インナモラーティ(恋するナルシスト)のキャラクターも演じていますよ!
ストーリー
新しい国王を探せ!
「とある国」で、国を取り仕切るパンタローネ(お金持ちなのにけちんぼ、というキャラ)が、将軍に給料をずっと未払いにしていたら、将軍が怒って国を去ってしまった!このままではこの国は他国から攻め込まれ、財産も奪われてしまう!どうしよう!!誰か将軍になってくれないかな~だけれども、将軍になれる人はそう簡単には見つからないはず。①強さ②信頼③決してあきらめない心・・・その3つの条件を兼ね備えた人物じゃなければだめだ・・・困ったなぁ困ったなぁ。
3人のカピターノ
そんな話を陰で聞いていたカピターノ・パットン!強くて信頼に値するのは俺だけだ!と言いながら色んな小ネタをかます。カピターノと言いながら格好はただの平民(笑)
そんなカピターノ・パットンの話を陰で聞いていたのが、カピターノ・フラカッソ。いいこと聞いた!いいこと聞いた!と現れ、いかに日暮里キーノートシアターが駅から遠いかを力説しつつ、我こそが将軍にふさわしいと宣言する。この辺りでカメオ要素もありなんだと気づく(笑)
その話を聞いてびっくりしたパットンが「俺こそが将軍にふさわしい!!」と陰から現れると、ここから2人でどちらが将軍にふさわしいか、めちゃくちゃしょーもないことで対決をしだす。この辺りが傑作(笑)リズミカルに小ボケがたくさん出てきてめっちゃ笑った(笑)持っている棒の長さやら名前の長さやら、とりあえず長い・でかい・強いものにこだわる2人。
2人がわちゃわちゃしていると、超ノリのいいDragon Ashのdeep impactのイントロとともに「いいこと聞いたぞ!!x3 ヒィー、マイクチェック1.2.あがれ観衆、一晩中you know?」という時代錯誤甚だしい声が!!Dragon Ashのボーカル・・・ではなく、ついに3人目のカピターノ・バスターが登場!!
バスターはマントも長いし、大剣を振り回すし、他2人のカピターノに比べてえらく強そう。そしてバスターの中の人が、仮面ライダー・バスターだったことを500%活かした仮面ライダーいじりがすごい。そもそもバスターって名前自体、仮面ライダーからとったんか~い。ここでもカメオ要素が登場。そしてバスターは、ご丁寧に仮面ライダーの変身グッズまで持参という用意周到っぷり。仮面ライダーは観ていなかったのだが、シュールっぷりに私含めてみんなけっこうゲラゲラ笑っていた。
3人とも色んな武勇伝を披露する癖に、すぐ嘘だとバレたり、実は話を盛りに盛っていたり、カピターノのクセに小さいことにこだわったりとめちゃくちゃ。そして全員ゴキブリが大の苦手(笑)このゴキブリ嫌いがストーリー上大事な設定だったとは思いませんでしたが...。
気づいたら応援していたしめちゃくちゃ笑った
最初は自分が将軍になることしか考えていなかったパットン、フラカッソ、バスターが、実はそれぞれにつらい過去を抱えていて、そんな自分を打破するため、変わるために将軍になろうとしていたのだ。そして、気づけば3人手を取り合い、憎まれ口を叩きながらも助け合って将軍の座を目指す。
エミネムのLose Yourselfでアガったり、ゴキブリと殺し合いをしたり、途中から突然パペットを使った人形劇に変わったりと、とにかくめちゃくちゃで、「イヤイヤそれはww」と突っ込みたくなるところばっかりで、世界観もないようであって、あるようでなくて、はちゃめちゃ。ただし、一つだけ確かなことがあって、それは「めちゃくちゃに笑える」ということだ。
最初は、ちょっぴり世界観がつかめなくて、静かな笑いしか起きなかった劇場を、カピターノたちが観客と絡みながら即興や機転で徐々に盛り上げ、大きな手拍子や笑いの渦を起こしていく。途中からぶっとんだ設定も受け容れて、カピターノたちを応援しながら笑っている私がいた。
何だかよく分からないけれどゲラゲラ笑っている、ドタバタしたストーリー展開の中でも胸温まる。イタリアでコメディア・デラルテを鑑賞したことはなかったのですが、笑って優しい気持ちになれたこの空間が大好きでした。
「とある国」と今を繋ぐもの
この「とある国」のストーリーの結末を書くのは避けますが、この非現実的な世界を現実に引き戻す・繋げるのは、「とある国」の物語が始まる前に挿入されたオープニングと、結末の後に挿入されたエンディングです。
オープニング
サラリーマンと思しき男・板垣は自分の最年少部長昇進を確信している。そこに大塚が「まさかお前が部長に成れるなんて思ってんじゃねーだろうな。」と入ってくる。「板垣のクライアントのトップ3は俺が繋いでやったんだ」と主張する。すると生島が入ってくる。昇進を決める上層部に一番気に入られるのは自分だ。と主張。大塚捨て台詞を吐きハケる。生島板垣の持った書類を奪い踏みにじり去る。板垣怒りの表情でそれを拾う。
スーツ姿の男三人による昇進争いの模様。営業本部長の座を巡って3人が争っている。
エンディング
板垣が現れ、飲み物を注文し中央のテーブルで待つ。そこへご機嫌な生島がやって来る。二人談笑し乾杯。
「あいつおせーな」と話していると、大塚が現れる。「おう、おせーよ」突っ込まれ飲み物を買いに行く。キャラメルフラペチーノを注文。みんな乾杯。板垣は家族の信頼をとり戻しているようだ。3人がそれぞれの部長昇進を祝って、乾杯。いがみ合って損した。会社って部長何人もいるんだな。3人で歌を歌って終幕。
3人は自分の出世に囚われ、勝手に1つしかないと思っていた部長の椅子を巡っていがみ合っていました。しかし蓋を開けてみたら、全員部長に昇格することができ、椅子は1つではなかったことに気づきます。
地位や出世に目がくらむと人は目先の成果しか見えず、自己中心的な考え方をしてしまうものですが、実はそれはただの勘違いなのです。カピターノたちは、仲間を想う気持ちで協力し合い、同じ目的を持つライバルでありながら、深い絆を得ました。そして、結果的に大きな成果を得ることができたのです。
現実離れした「とある国」の世界観で繰り広げられたコメディア・デラルテは、現代の私たちにも共通する大切な考え方を教えてくれました。
まとめ
小劇場での観劇は今回が初めてだったので、少しドキドキしていたのですが、西日暮里キーノートシアター、またコメディア・デラルテのスタッフの皆さんはとても暖かい雰囲気で迎えてくれました。
今後、観劇者側も「コメディア・デラルテってこうやって楽しむんだね!」ということが少しずつ拡がってくると、さらにこの笑いが受け容れられるのかなと思いました。
また、コメディア・デラルテの伝統的なスタイルはもちろん重要ですが、それ以上に重要なのは、大衆芸能としての「今を生きる人々のそばにあること」ではないでしょうか。改めてそんな気づきがあった1日でした。