愛の小道の歴史・秘密を徹底解説
愛の小道は、約1km弱の細い歩道で、チンクエテッレのリオマッジョーレからマナローラまで伸びている道のことです。その遊歩道の美しさは世界的にも有名で、チンクエテッレの重要なポイントの一つとして世界遺産にも含められています。
この愛の小道は、水色の道と呼ばれる遊歩道全体のうちの一つとされています。今回は、私たちにも徐々に有名になっているチンクエテッレの中で、重要な意味を持っている愛の小道について紹介していきます。
かわいい愛の小道
美しい眺め・トンネル
愛の小道は、他のチンクエテッレのトレッキングロード同様、素晴らしい眺めが特徴的です。他に比べるとやや短いため、簡単にその絶景を楽しむことができます。チンクエテッレといえば街並み!と思いがちですが、こちらも忘れてはならない要素の一つです。
また、こんなかわいいトンネルもありますが、ちょっと最近は落書きも多く、せっかくのカラフルな壁の色が見えなくなってしまっています。
若いカップルのシンボル
そして愛の小道にやってくる恋人たちがこぞって写真を撮るのがこの銅像の前。キスをするカップルの銅像の近くは、道が狭いのにたくさんの人が集まりますよ!
愛の小道の歴史
きっかけは鉄道工事
実はこの愛の小道、最初は自然による影響で偶然道のようなものが崖にできていたのが始まりなのです。
その道が拡大されたのは1920年、ジェノヴァースペツィア間の鉄道工事中のことでした。工事の安全を期すため、非常時(工事中の道の崩落など)のためのもう一本の道、つまり愛の小道が必要とされ、広げられたのです。そしてこれにより小さな愛の小道の原型が開かれることになります。
海沿いの道を市民が望む
鉄道工事が無事終わりこの小道が必要無くなった頃、リオマッジョーレとマナローラの住民達が、この道を2つの町を繋ぐための遊歩道として残さないか?というアイデアを広げていきます。
今では電車で5分の両町、ですが当時は恐ろしくクネクネの山道を通り抜けやっとたどり着ける場所で、隣町なのに全く違う方言を使って話していたほど。
そして1930年代、スペツィア州によりこの道を正式に舗装して歩道として利用するとの決定がなされました。熱心な地域住民の働きかけにより、愛の小道は誕生したのです。
道路維持の難しさ
このように断崖絶壁にできた愛の小道は、決して簡単に維持できるわけではありません。1990年代には、壁面の崩落などの危険性が増したため長きに渡って封鎖されていました。
その後は再開されましたが、またここ数年は開いたり閉まったりを繰り返しているようです。そして2016年11月現在、愛の小道はまだ開かれていません。2018年ごろ再開予定とされています。
愛の小道という名前
落書きから始まった
若い恋人達のための愛の小道は、なぜこのように呼ばれるのでしょうか。
実は、誰かが小道の途中にある2つの小さな岬の壁に「愛の小道」と落書きしたのが由来です。
Via dell'Amore
そして実際のところ、それ以前からも同じような呼称のリグリア語Viaeu de l'Amùで誰ともなく呼ばれていたとか。そしてこの落書きをキッカケにこの道の名前をVia dell'Amore すなわち愛の小道とすることが正式に決められたのです。
過去から愛される小道
20世紀の詩人、パオラ・ガイオーネの記した書物には、愛の小道のことを次のように紹介してあります。
愛の小道は、ただの小道ではない:
チンクエテッレのシンボルであり、そしてあなたの人生という道のシンボルでもある。この束の間のバカンスで海水浴をし、太陽を浴び、ワインやオリーブ、レモン畑の中を歩く。世界中から人々がやってきて、普段の生活の疲れを少しだけの間で癒すことができるのだ。
愛の小道の復活が待ち遠しい!
いかがでしたか?私も書けば書くほど愛の小道の復活が待ち遠しくなるばかりです。みなさんもこの道が復活したときには、是非トレッキングしてみてくださいね。