【ブックレビュー】タイトルで衝撃→読んで納得『イタリア人と日本人、どっちがバカ?』

【ブックレビュー】タイトルで衝撃→読んで納得『イタリア人と日本人、どっちがバカ?』

ゆうさん

学生時代にローマ・サピエンツァ大学に留学し、シチリア出身マンマが統べる大家族にてホームステイ。今は日系企業で国際提供業務に従事する社会人3年目。イタリアで仕事をする機会を細々と狙っています。サザンオールスターズとサンドウィッチマンが大好き。

ほんとに笑ってられるの?

皆さんは、「イタリア人」という単語を見たときに、いくつか思いつく「ステレオタイプ」のようなものがあるかもしれません。「カルチョと女性を愛するイタリア人男性」「パスタとピッツァしか食べない国民」「マフィアに溢れたシチリア島」「いつも怠けている人々」などがその例でしょう。

しかし、それは本当にイタリア人やイタリアを正しく表した姿なのでしょうか。日本人が、イタリア人のことや、イタリアの経済・政治・社会の状況を笑っている場合では、実はないのではないか?そんな気持ちにさせてくれる『イタリア人と日本人、どっちがバカ?』という一冊をご紹介いたします。

出会ったキッカケ~購入まで

私がこの本に出会ったキッカケは、卒論の資料探しでネットサーフィンをしている時でした。イタリア人の国民性や社会について、グッと迫るような論文を書きたい、そう思って色々な本や論文を探している時に、この本に出会ったのです。

最初は「どっちがバカ?」という非常にラジカルな表現に「大丈夫か?この本」と思い、つい本の概要や書評を読んでしまいました。そして「この本は、どっちがバカかなどを決めようとするのとは、違う次元のことを論じようとしている」と感じて、購入するに至りました。

本の内容

著者紹介

この本の著者は、ファブリツィオ・グラッセッリ氏。ミラノ工科大学を卒業した後、建築家として世界各国で活躍、その後日本での仕事をきっかけに、日本での永住を決意し、東京に移住して20年以上になります。

イタリア語指導の公式の資格を持ち、様々な学校や大学等で授業を行いながら、日本や世界において捻じ曲げられてしまったり、ステレオタイプになってしまったイタリア文化の本質に迫ろうと、様々な書籍を出版中です。

概要

この本の特徴を表すならば「イタリアの現状をビビットに描くことにより、その現状を伝えるだけでなくステレオタイプという誤解をも解き、さらには日本社会に対して警笛を鳴らす一冊」と言えると思います。

この本は、ビアンキ一家という架空の家族が主人公となり、彼らの日常に迫っていく形で、イタリアのことを明らかにしようとしています。そのため、普通の新書と比較しても、とても読みやすいです。

特徴①:あらゆる社会問題が南北問題・汚職へ

南北問題

イタリアを語る上で避けて通れないのが、南北問題です。南北問題とは、1861年のイタリア統一以来、工業化により経済発展を進めてきた北部(ミラノ、トリノ、ジェノヴァなど)と一次産業に依存した体制が抜け出せず発展が遅れてしまった南部(ナポリ以南、シチリア島、サルデーニャ島)の格差のことを指しています。

一般的には、これはイタリアという「国」の歴史が浅いことが原因だと考えられがちですが、ファブリツィオ氏は、それ以上に、国家統一が極端に短時間で行われたことにあると主張しています。

イタリアがほかの国と違っていた点が一つあります。それは、統一事業が、きわめて短い期間に行われた、という点です。他の国が統一までにたどってきた何百年という長いプロセスを、イタリアの場合は、わずか数年で済ませて国を作りました。いわば、イタリアは即席で作られた「国民国家」なのです。

ー第3章 横たわる「南北問題」p57ー

だからこそ、全く違う文化的背景を持った北部(もとはサルデーニャ王国中心)と南部(元はシチリア王国中心)は、互いの違いを理解し合うことなく今日までやってきてしまいました。そして、半強制的な征服を行った北部の論理に則った様々な政策が敷かれたことで、南部は困窮を極めることになってしまいました。

北部の一部の人々からすれば、南部は経済的には北部の足を引っ張り、自分達は何も努力しない奴らしかいない、という気持ちになります。

ジャンルーカは…[中略]…父に向かって言います。

「それは、南イタリアにも優秀な人間はいるだろうさ。…[中略]…でも、いまだにあの土地にしがみついて『どんな事になっても、そのうち誰かがやってきて助けてくれる』なんて思っている連中は違うよ。僕に言わせれば、そういうのは『セリエB』の人間だよ。…[中略]…」

セリエBというのは、イタリアサッカーの2部リーグ。セリエAが1部リーグです。つまりジャンルーカは、南イタリア人を、人間として「二流」だと言っているわけです。

ー第3章 横たわる「南北問題」p65-66ー

北イタリア・クレモナ出身のファブリツィオ氏からすれば、これが彼が住んできた北部での、一種の現実なのだと思ってしまいました。だからこそ、ロンバルディア州を中心とした北部をイタリアから独立させようと推進するLega Nord(レーガ・ノルド)のような政党も幅をきかせているのでしょう。

マフィア

さらにイタリアは、マフィアなどの犯罪集団の影響力が圧倒的に強く、政治や事業等において切っても切れない関係にあります。イタリアには通常のイタリア政府とマフィアの2つの政府があると、ファブリツィオ氏が述べているほどです。

彼らは零細企業や商店街から重要な政治家まで、あらゆる場所にネットワークを張り、全てを裏から牛耳っています。それらを何とか断ち切ろうと活躍した検事(ジョヴァンニ・ファルコーネ氏など)も多くいますが、暗殺によってその道を絶たれたり、もみ消されたりと、未だ根本的な解決には至っていません。

自分の利益にさえなれば、マフィアなどの犯罪集団とでも手を結ぶ、社会全体の事を考えないエゴイズムが、犯罪集団をここまでのさぼらせてきた原因です。…[中略]…もはやそれは、イタリア一国の問題ではないのです。

そして、マフィアのような犯罪集団を受け入れてしまうメンタリティーは、政治家や銀行家といった社会の有力者だけでなく、私たち自身の中にもあるような気がします。「どうせ、誰が出てきて何をやっても、社会は変わらないんだ」という無力感が、私たち一般人の間に広がっていることが、本当は一番問題で、恐ろしいことなのかもしれません。(引用者太字表示)

第4章 マフィアと闇経済 p91-92

特徴②:日本に対する痛烈な批判と警笛

ファブリツィオ氏は、文藝春秋のインタビューの中で、次のような説明をしていました。

「これはほとんど冗談みたいなタイトルですけど、日本人の知り合いに『イタリア人が怠け者だから、いや、もしかしたらバカだから、債務危機に陥るようなことになったんじゃないの?』と言われたのがきっかけです。」

「イタリアが債務危機に陥った理由の大きな部分は、戦後に出てきた多くの社会問題を、現在まで放置してきたからであって、それをバカといえば、バカなのかもしれませんね。でも、今は日本にも深刻な問題が実はたくさんあって、放置されている。そうしてみると、どっちもバカですよね。」

外国人の視点から見た日本

つまり、日本人はイタリアの経済危機を、他人事のように見て、バカにしているけれど、実際のところどっちもバカなんじゃないか?変わらないんじゃないか?ということを言いたかったのです。

私たちは、今の日本政治に対して、何を考えているでしょうか。「どうせ自民党でも立憲民主党でも変わらない」「投票なんてめんどくさい」「あーあ、小泉進次郎みたいなカリスマが総理大臣になってくれればいいのに」etc... 日本人が、政治を自ら手元から離していき、いつか現れるカリスマに期待する、これは本当に民主主義なのでしょうか?

誰か強いリーダーに、この国を「引っ張っていってほしい」というのは、民主主義の社会に生きる人間としては、横着すぎる発想なのだという事に、日本人は気付くべきです。

第9章 イタリアは、明日の日本か? p208

これは、イタリアの政治や社会に対する姿勢と非常に似ている部分があります。イタリアも、時代が閉塞感に包まれた頃、かの有名な「メディア王」シルヴィオ・ベルルスコーニが登場し、そのカリスマ的なイメージや、政治を背後で支えた様々な汚職や癒着を武器に、国民からの期待を一手に集めました。

その時、イタリアに蔓延っていたのは、「どうせ何をしても無駄だ」という無気力感と「きっと誰かが現れて全て変えてくれる」といった受け身主義(イタリア語:アッテンディズモAttendismo)だったのです。

ベルルスコーニを受け容れたイタリアがどうなったか、詳しくはこの本を読んでいただければと思うのですが、それにしても、イタリアと日本の状況が非常に似ていることに、グラッセッリ氏は警笛を鳴らしています。

特徴③:ジャンルーカが現実を知る瞬間が悲しい

この本の主人公的存在といえるジャンルーカは、日本のことが本当に大好きで、強い憧れを抱いていました。また心のどこかで「縁故主義や閉塞感が漂うイタリア」と比較するようにして、日本に対する希望をもっていたとも言える人物です。

日本に着いたジャンルーカは、友人のファブリツィオやイタリアに精通した日本人数人と、東京でランチをすることに。ここでは、彼の「日本への幻想」が次々と打ち砕かれ、途方に暮れ、何度も黙り込んでしまいます。彼は「日本とイタリアで問題となっていることは、実はとても似ているのではないか?」と感じたのでした。

1年間イタリアで過ごしてみて思ったことは、日本はイタリア人にとってはあまりにも遠い土地だということです。それは、日本人がイタリアに対して感じる遠さを、大きく上回っていると感じました。だからこそ、色々な偏見は生まれるけれど、同時に憧れや希望も持ちやすい国なのでしょう。

それが次々と砕かれていくのは、読んでいて、なんとも申し訳ない気持ちになりました。

読み終えて

この本は、日本社会やイタリア社会のみならず、現代において人々が抱える問題に切り込んだ、とても面白い本であったと感じました。新書ということもあり、著者の主張がかなり盛り込まれている部分はありますが、だからこそイタリア人にとっての日本イタリア人にとってのイタリアがリアルに浮かび上がります。

そして、私たちがイタリア人に対して抱きがちなステレオタイプやイメージを、良い意味で壊し、その根源に何があるのかを、とても分かりやすく解説してくれているな、と感じました。この点は宮嶋勲氏の『最後はなぜかうまくいくイタリア人』とも似ていますが、やはり書き手がイタリア人であることは、大きな意味を持っています。

少し難しい話ばかりしてしまいましたが、あくまでも新書。そして、ストーリーのように章が進んでいくので、時には愉快に時には考えながら、読んでいくことができますよ!

どんな人に読んで欲しい?

  • イタリア史や現代社会学を学び始めたいと考えている人
  • 「イタリア人」って何なのか知りたい人(もちろん答えは一朝一夕で出るものではありませんが)
  • ベルルスコーニのことを知りたい人

さいごに

いかがでしたか?イタリアに関する書籍は、本当にたくさんあって、どれを読もうか迷ってしまいます。そして、購入したい・読みたい一冊を決める際に、当サイトの記事がお役に立てれば嬉しく思います。

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