当サイトでは、幾度かネオレアリズモ映画について紹介してまいりましたが、この記事では、その時代をまさしく最も代表する作品であり、イタリアのみならず世界中の映画ファンが知っているであろう名作『自転車泥棒』について、今更?ながら取り上げてみたいと思います。
作品概要
映画情報
- 原題:Ladri di Biciclette
- 公開年:1948
- 上映時間:93分
- 制作国:イタリア
- 監督:ヴィットリオ・デ・シーカ
- キャスト:ランベルト・マジョラーニ、エンツォ・スタヨーラ、リアネーラ・カレル、 ジーノ・サルタマレンダ
あらすじ・時代背景
ストーリー
あらすじ自体は、かなり分かりやすかったので、初めて鑑賞するネオレアリズモ映画にはピッタリだと思います。
ポイント
失業して2年が経っていたアントニオ(ランベルト・マッジォラーニ)は長い失業の末に、ようやく市役所から映画のポスター貼りの仕事を得る。
しかしその仕事には自転車が必要であったが、生活のために彼の自転車は質屋に入れたままになっていた。妻のマリア(リアネーラ・カレル)の機転により、6枚のシーツを質屋に入れて何とか自転車を取り戻すことに成功し、無事に仕事ができると安心する。
そして初めて出勤した日、街でポスターを貼っている隙に自転車が盗まれてしまう。アントニオは慌ててその犯人を追いかけたが捕まえることはできなかった。
自転車がなければ再び失業の憂き目に遭うため、なんとか自転車を取り戻そうと焦り、アントニオは警察に駆け込む。しかし証拠がなく、警察はまともに相手にしてくれない。彼は信頼できる友人に相談に行き、日曜の朝早くから息子のブルーノ(エンツォ・スタヨーラ)と友人を伴い、街で行われている古自転車の市場に行った。足を棒にして探し回った挙げ句に、ようやく犯人らしき男を見かけ追いかけるが逃げられてしまう。
さらにその犯人と話していた老人の跡をつけるが手掛かりは掴めなかった。焦って気が立ってしまったアントニオはブルーノに八つ当たりをしてしまう。
ここから先、映画を観る前にネタバレしたくない方は、見出し「制作秘話・小話」までスキップしてください。
疲れてうな垂れる二人はレストランに入って食事を摂り、ようやく仲直りをして再び自転車泥棒捜しを再開する。アントニオは藁をも掴む思いで妻のマリアから聞いた女占い師を訪ねるが、曖昧な答えが返ってくるだけで何の解決にもならない。
その占い師の家から出たときに自転車泥棒に偶然遭遇し、追い詰めたものの白を切られ気を失った振りをする、周囲のヤジ馬たちも泥棒の肩を持ち、ブルーノが機転を利かして呼んできた警官と、犯人の家に入るが盗まれた自転車も見つからない。誰も味方してくれる者はなく、その場から逃げるように帰るしかなかった。
絶望したアントニオは、思い余って通りに置いてあった自転車を盗んでしまうが、あっという間に取り押さえられてしまう。息子ブルーノの涙にその場を解放されるが、アントニオは罪の意識と無念さに涙を流し、ブルーノは父の手をしっかり握りしめ、タ暮れの雑踏の中を寂しく家路に向かっていった。
敗戦後のイタリアの現実を映し出したネオレアリズモの傑作。
制作秘話・小話
ご存知の方もかなり多いかもしれませんが、この作品でアントニオを演じたランベルト・マジョラーニ、そしてブルーノを演じたエンツォ・スタヨーラは、俳優などではなく素人をスカウトしてきて抜擢しました。
それを知った上でこの映画を観ると分かると思うのですが、彼らの自然な立ち振る舞いが、映画により現実味を与えているのではないでしょうか。
ただ、その上でも、もしブルーノ役の彼の熱演がなければ、この映画はここまでの傑作になっていなかったのでは、とさえ思います。
時代背景
ネオレアリズモ映画は、第二次世界大戦後の時代を描いており、この映画で舞台になっているローマも例外ではなく、荒廃した街の様子を窺い知ることができるはずです。
物語は、もう2年も仕事がなかったアントニオが、やっと映画ポスターを貼る仕事を見つけるところから始まります。職業安定所には群衆が押し寄せており、皆が仕事がなく、かつその日の食い扶持を稼ぐだけでも大変な様子が分かります。
実際、教会には、食糧の配給やヘアカット・髭剃りを求めて多くの貧困した人々が訪れています。
また、交通事情も現在とは全く違います。トラムやバスは、すでに人々の足として機能していましたが、とにかく混みまくっており、自家用車もまばら。徒歩や自転車を利用している人が多かったことが分かります。
感想・ネタバレなど
この章は、一部物語のネタバレも含んでおりますのでご注意ください。映画を観る前にネタバレしたくない方は、見出し「さいごに」までスキップしてください。
群衆に翻弄される時代
この映画では、何度か、意図的に群衆の映像を流していると思います。それは、単にローマを映したかったからというよりは、時代や群衆に翻弄される個人、を表すためではないでしょうか。
大きな戦後の渦に巻き込まれ、あなたはどうすることもできない。ただただ広がる絶望感。そして周りの人もあなたをそれほど助けてはくれないし、かまってくれない。なぜなら、みんな自分のことや明日の暮らしだけで手いっぱいだから。
アントニオは、自転車を盗まれた後、色々な人を頼ります。しかし、どの人も全く頼りになりません。警察は自分のことしか考えていないし、友人もとりあえずは協力してくれるが、あまり必死さは伝わってきません。結局は自分で何とかするしかないのです。
「自転車が無くなった」という生活・生死を揺るがしかねない事態に付き合ってくれるのは、ブルーノ(とマリア)しかいないのであり、そこに苦しさがあるのです。
そして、正しい方法で何とかしようとしてもどうにもならなかったから、彼は間違った方法でもいいから、何とかしようとした=自転車を盗んだのです。
泥棒は犯罪行為に違いないのですが、1時間以上アントニオの苦しさ・貧困に付き合ってきた視聴者は、きっと「かわいそうだ」「バレないで欲しい」と思うはずです。
父・アントニオと息子・ブルーノの目線
貧困にあえぐ姿というのは、この映画を観ていれば分かりやすいと思いますが、アントニオとブルーノの関係性や目線にも注目してみてください。
自転車を盗まれた父・アントニオが、息子・ブルーノと一緒に街中を探して回る、これがストーリーのほぼ全てです。
アントニオ⇒自転車
その中でアントニオは、常に自転車のことだけを考えており、一緒にいるブルーノのことを、見ているようでほとんど見ていません。
例えば、自転車に関する手掛かりが少しでも見つかると、それしか考えていないアントニオは、しばしばブルーノを置いて全力疾走。街中を歩いていても、常にアントニオは、ちらちらとあちこち色んなところを見たり、また大人と話したりして、目線は常に遠くにあります。
ブルーノ⇒父
一方、ブルーノは、どんな時でも父への目配せを欠かしません。アントニオが何を考えていて、いったいどんな状況にあるのか、必死で考えようとしています。
また幼い彼は、こうした絶望的な状況でどうしたらいいか分からず、その答えを何度も父に目線で求めるのですが、肝心の父は、常に自転車のことで頭がいっぱい。
一日中自転車探しに付き合わされるブルーノは、おしっこすら出来ないほど切羽詰まっていました。隙を見て道端でおしっこをしようとしても「何やってるんだ!あいつがいたぞ!行くぞ」と手がかりを見つけた父に捕まり、用を足せないまま走り出します。
そして、司教に殴られても全然平気だったブルーノが、アントニオに平手打ちされると泣き出してしまうシーンは、ブルーノにとってのアントニオの存在の強さを表していると思います。
アントニオ⇒息子(一瞬だけ)
息子が溺れたと思った⇒家族が一番大事だ、という考えになったほんの数分の間だけは、アントニオの目線がブルーノに向きます。そして、そのシーンからレストランのシーンだけは、ブルーノが唯一子供らしい姿を見せます。
普通の父と息子らしい様子が見えるのは、個人的にはこのシーンくらいかなと思います。
ブルーノの目線だけが、アントニオを救った
時代に翻弄されるアントニオは、誰からも助けてもらえない存在です。自分のことだけで精一杯な人たちに囲まれ、どうすることもできない状況。イライラしてブルーノに当たったりしますが、何とか状況を好転させようとあくせく。
そんなアントニオを助けるのは、唯一ブルーノの目線だけ。印象的なシーンが2つあります。
1つ目は、アントニオが間違った男性を自転車泥棒と疑い、周囲の住民たちに危うく袋叩きにされそうなシーン。もしブルーノが、直前に警察官を呼びに行っていなければ、本当に袋叩きにあっていたと思います。
2つ目は、まさしくこの映画の肝のシーンである、アントニオが自転車を盗んでしまい、群衆にどつかれ、警察に連れていかれそうになるシーン。もしブルーノが、アントニオの気落ちして絶望した後ろ姿を見逃し、言いつけを守ってバスに乗ってしまっていたら、恐らく彼は逮捕されていたでしょう。
結果的に逮捕されることはありませんでしたが、それでもエンディングは圧倒的な絶望感やで、行き場のないやるせなさを私たちに植え付けます。しかしブルーノがいなければ、もっと悪い結果になっていたはずです。
だからこそ、絶望的な状況においても"子ども"という存在だけが未来を救ってくれること、そして、そんな子どもからの愛に気づけない絶望を感じた大人というコントラストが浮き上がってくるように思うのです。
雑談・小話
Amazon Primeは英語版?
私はこの作品を、VODサービスのAmazon Primeで視聴したのですが、残念ながらイタリア語版がなく、英語版でした。
そのため、基本的な会話は英語、挨拶や呼びかけなどだけイタリア語、というちょっといびつな感じ。また、教会でのアントニオと老人のシーンだけ「アオー(Ao)」というローマ方言(「おい!」のような意味)が登場していたので、ちょっぴり笑っちゃいました。
盗まれそうで盗まれない自転車
タイトルがタイトルなだけに、「いったいいつ自転車が盗まれるんだろう?」「盗むんだろう?」と思っているのですが、これがなかなかやらない!見ているこっちがヤキモキしてしまいました。
北村一輝いる?
作品後半で、自転車を盗んだ疑いをかけられた青年が、ちょっと北村一輝に似てるなと思ってました(笑)さすがテルマエロマエで古代ローマ人を演じてただけのことはありますね(どうでもいい)
さいごに
映画情報
- 原題:Ladri di Biciclette
- 公開年:1948
- 上映時間:93分
- 制作国:イタリア
- 監督:ヴィットリオ・デ・シーカ
- キャスト:ランベルト・マジョラーニ、エンツォ・スタヨーラ、リアネーラ・カレル、 ジーノ・サルタマレンダ
戦後ローマの惨状、ネオレアリズモ映画特有の現実を突きつけられる辛さ、といった要素を、とにかく感じられる作品です。そして、登場人物の目線に注目いただくことで、『自転車泥棒』はより一層楽しめると思っております。