ここ最近、サッカーイタリアリーグのセリエAでいくつか人種差別に関する問題が浮上しました。それらのニュースなどを中心にイタリア・サッカー界にある差別について少し考えてみたいと思います。
イタリア・サッカー界に蔓延る差別の実態
1.ムンタリ選手、自主退場
先日のサッカー・セリエA34節カリアリvsぺスカーラ戦において、ガーナ代表MFでありぺスカーラに所属するサリー・ムンタリ選手が、相手チームのカリアリサポーターからの差別的なチャントに耐えきれず、 自分の意志で試合を退場した、という出来事がありました。
主審や連盟の非情対応
これに際し、主審は試合を中止してチャントを止めるなどの対応をせず、逆にムンタリの行動に対してカードを出したことも話題となりました。その後、イタリアサッカー連盟(FIGC)はムンタリに対して1試合の出場停止処分を課したものの、後にムンタリの異議申し立てや世論の批判を受けて、処分取り消しを発表することに。
またカリアリ側の監督も「差別的なチャントについては認知していない」という趣旨の発言をしています。
中には子どもも
いずれにせよ、全体的に問題を鎮静化するような動きがみられるものの、具体的な罰則などがあったなどの話は出ておらず、うやむやなまま終わってしまいそうな雰囲気がしています。
ムンタリ選手は「中には子どもも差別的な発言をしていた」と述べており、いかにこのような問題の闇が深いのかということが分かるかと思います。
2.バロテッリ選手への異常なまでの執着
手のひら返しの対象に
セリエAでは、良いプレーをした選手に対しては、大絶賛が与えられますが、一度ミスをすれば、どんなにこれまで良いプレーをしていようとも大バッシングの嵐に晒されます。このことは最近よく知られていることかもしれません。
インテルに所属する日本代表DF長友佑都選手が、先日のナポリ戦でミスを犯した際、SNS上に恐ろしいほどのバッシングの数々が並びました。
イタリアでは、良ければ神様かのように賞賛され、悪ければ犯罪者かのように批判、罵倒される。
そこに人としてのモラル、リスペクトはない。
限られた人しか経験できないこの厳しい環境で、仕事ができることに誇りを感じる。
ここにきて7年。
全てが自分の大きな財産となって未来へ繋がる。— Yuto Nagatomo | 長友佑都 (@YutoNagatomo5) May 2, 2017
手のひら返しに人種が持ち込まれる
その中でも、この問題を話す上で最も分かりやすい事例は、前述のバロテッリ選手です。彼は以前はイタリア代表に召集され、EURO2012では素晴らしいゴールを決め、賞賛の嵐でした。イタリア人は彼らを「俺らの兄弟」と呼んだそうです。
しかしその後は鳴かず飛ばず、ましては素行の悪さなどが目立ち始めるようになるにつれ、彼への評価は下がっていきます。そして悪いプレーなどが起こると差別的なチャントが行われることになるのです。「バロテッリ、バロテッリ、お前の兄弟はどこだ」=お前の兄弟はアフリカの黒人だ、と。
この話を笑いながら私にしてくるのには、さすがに神経を疑いました。イタリア人の強い気性と相まって、彼への攻撃は行われ続けています。
※この項目に関しては、私が実際に見聞したことを基にして記事を書いているため、明確な根拠を提示できるものではないですが...。
3.ベナティア選手に「クソモロッコ人め」
ユヴェントス所属のモロッコ代表DFメフメト・ベナティア選手に対しても、2017年5月8日、国営放送Raiの中継中に差別発言があったという報道が。セリエA第35節トリノとの一戦のあと、中継放送でインタビューに答えていたベナティア選手のイヤフォンを通して「クソモロッコ人め」という発言が聞こえ、ベナティア選手は「今喋ったのは誰?」と問いましたが結局誰の発言か曖昧なままインタビューは終了。
国営放送の対応は?
これに対するRai側の公式発表が非常に印象的でした。
差別発言があったことに遺憾を表明しながらも発言者が社内の人物ではないと発表し、発言自体が公共の電波で放送されなかったことは幸いであったとしています。
対応の是非
これに関してですが、個人的に2つのことを考えました。
1.発言者が社内の人物でなかった場合、差別があろうがなかろうが関係がなく、「遺憾」とするに留めていること。
このような責任の所在を不明確にしようとする行動は、どの企業、国でも起こりうるかもしれません。人そのものを否定する差別問題で同じことがあって良いとは限りませんが。
2.発言自体が公共の電波で放送されなかったことは幸いであった
発言自体が公共電波で放送されなければ、「遺憾=残念な発言だ」とするレベルに止めることができる、つまり差別的発言は許されるものではないにせよ、断固として許されないものではないという、暗に差別に対しての諦めのようなものが見て取れることです。
国営放送であるRaiがこのような過ちをしっかりと認めずにこのような発言に至るというのは本当に意味がわかりません。話を飛ばしすぎと思われるかもしれませんが、「人にバレなければ差別してもいい」という根底にある気持ちが表れているような気がしてなりません。
4.サッカー界の差別
問題はもちろんイタリア以外も
イタリアだけでなく、ヨーロッパ全体でも黒人選手に対する差別は相当なものです。SNS上でそのようなメッセージを相当数受け取る選手もいます。
バロテッリの他にもSNSで人種差別に苦しむ選手は存在する。同じくリバプールに所属するFWダニエル・スターリッジは16000通、アーセナルのFWダニー・ウェルベックは17000通の人種差別メッセージを受けたという。
情報源: バロテッリ、今季SNSで4000通以上の人種差別メッセージを受けていたことが判明
ヨーロッパサッカー協会UEFAはNo Racismを掲げ、差別主義反対を主張し続けていますが、それほど効果があるとは思えません。
何もこの問題は昨日今日始まったことではなく、以前からずっと起き続けてきたことでしょう。これまでも黒人選手を中心に、多くの選手が差別の対象になってきました。定期的にこれらの問題がニュースになり続けています。
解決策はあるか
果たしてこのような差別に立ち向かうための対策はあるのでしょうか。試合中であれば、主審が試合を一旦止め、差別的なチャントを行う観客に注意を与えることもできます。また、チームとしては、そのような行為に及んだ人に対して無期限のスタジアム入場禁止などの措置を取ることもあり得るでしょう。協会はクラブに対して罰金の支払いなどをさせていますが、毎回3万-5万ユーロ程度と、非常に少ない額にとどまっており、罰金が歯止めをかける要因になっているとは思えません。
5.捕まえきれない差別のほんの一例
最終的に、人が変わらないとどうにもなりません。イタリア人の考え方が変わらない限りは何をしても上から押さえつけているだけで何の意味もありません。陰に隠れて必ず行われます。
そして差別問題は、差別が表出する時にしか問題となりませんが、普段から心の中にその気持ちが潜んでいること自体が問題なのであり、その次元のことが、注意や罰金などで止まるはずがありません。
サッカーに関する差別主義者は、すぐに人種が違うことをネタにして攻撃したがります。
例1:シュートを外せば「このクソ黒人が」と罵ります。プレーがどうこうではありません。彼が黒人であることが重要なのです。
例2:試合中スタミナが無くなれば「この黒人はクソだ」と罵ります。そこにわざわざ「黒人」という単語を足す必要もないのに、どこかで相手を蔑むネタを探しています。その格好の対象が「人種や肌の違い」です。
例3:サッカーゲームで弱い選手が手に入った時には「こんなアラブ人いらねえよ」と罵ります。ゲーム内の能力値は関係ありません。彼がアラブ人だから、能力のことを批判しやすいのです。
それが相手に伝わろうがそうでなかろうが知ったことではありません。とにかく差別的なことを言いたいのです。
普段は普通の選手として見ている相手が、何かミスを犯したとき「待ってました」と言わんばかりに「黒人!」「日本人!」「アラブ人!」と水を得た魚かのように差別発言を繰り返します。そしてその顔は非常に気味の悪いものです。
怒りもそうですが、薄ら笑いを浮かべていたりするとなお気持ち悪いです。
さいごに
大変申し上げにくいのですが、これもほんの一例に過ぎません。私がイタリア人らしいイタリア人の若者たちとの付き合いが多いこともあり、「果たしてイタリア人はみんなどこかで差別しているのではないか」と考えてしまうこともあるくらいです。そう思うくらいには、常日頃から人種差別が「大好き」な人がいます。
考え続けるとなぜか胸が苦しくなります。こんな苦しみをたくさんの人から一斉に与えられた中でもプレーを続けている「黒人選手」の方が、よっぽど差別をする人間よりも優れていると、半ば「差別的に」考えてしまうばかりです。