起源は要塞?名前の由来は?どこよりも詳しいチンクエテッレ徹底解説書【歴史編】

 2017/02/17

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チンクエテッレに詳しくなろう

これまでの記事ではチンクエテッレの観光の仕方やお土産、愛の小道などについて詳しく解説をしてきました。

これで観光は完璧!どこよりも詳しいチンクエテッレ徹底解説書【観光スポット編】

そして本記事では、さらに一歩踏み込んでチンクエテッレのことを知りたいあなたのために、歴史や地理的な特徴、名前の由来(なぜチンクエテッレという名前なのか)について詳細に説明していきたいと思います。

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チンクエテッレの歴史

中世の歴史が最も今日のチンクエテッレと深く関係している部分です!

古代

旧石器時代

カーサトッレ(サン・ジミニャーノ)

チンクエテッレは昔はcasa torre(カーサ・トッレ)という、岩でできた塔の形をした家を作って生活していたと考えられています。

チンクエテッレでの人の存在が確認されているのは、なんと旧石器時代の頃からでした。何もないただの崖と森であったこの辺りに、近くの島からやってきた人々が洞窟を掘り、そこで生活していたとされています。

新石器時代

リグリア州地図

その後新石器時代に入ると、人々は狩猟をして生活をするようになったようです。この辺りは自然が溢れ、動物も多く住んでいたことから狩人にとっては格好の場所だったのだとか。

そしてこの自然豊かな特徴はローマ帝国時代までも続いていたようです。

ローマ帝国時代

古代中世の、港要塞の例

古代中世の、港要塞の例

イタリア半島を中心にヨーロッパで栄華を築いたローマ帝国も、この土地には苦労したようで「リグリア人はローマ化を進める上で非常に苦戦する相手だ」と記述していたほど。

それでもアウグストゥス時代までには完全に支配下に入り、多くの奴隷労働者の流入とともに、もといた住民達はチンクエテッレ周辺の土地を捨てて去ることになりました。

中世

5つ(チンクエ)の土地(テッレ)の由来はここにあり

チンクエテッレという場所がその活動を活発化させるのは、11世紀になってからのことです。

もともとは山間のヴァーラ峡谷に住んでいた人々が、人口増加に伴って海沿いに進出し、5つの村に分かれて定住したことが今日の原型となっています。

港町ではなく農業の町だった

そして、チンクエテッレはもともとは港町としてではなく、人口増加によって食糧が必要とされた時代において、農業の町として誕生したのです。

そして作物などの輸送において、山がちな地形の長距離移動よりも、船による移動の方がずっと楽で早かったので、港が徐々に整備されていくことになります。

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利益を巡って隣国ジェノヴァと対立

中世ジェノア

中世のジェノヴァは全盛期

作物の輸送は次第に地域のみならず、ヨーロッパや中東方面にも広がりました。そこでの利益を巡って当時港町として繁栄を極めたジェノヴァと対立し、最終的には戦争に敗れます。こうして12世紀後半には、チンクエテッレはジェノヴァ領に吸収されました。

その後はジェノヴァの海洋要塞都市として、発展していくことになり、今日の私たちの知っている姿になっていきます。

【次ページ】地理的な特徴・それぞれの町の名前の由来は?

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