高校時代に世界史を勉強した人の中には『神曲』という文字を覚えている人もいるかもしれません。『神曲』は14世紀初頭に完成した叙事詩です。
イタリア・フィレンツェ生まれの詩人ダンテ・アリギエーリによって記されました。キリスト教文学の最高峰とされる作品で、カトリック教会において大きな影響を与えました。
この記事では、カトリック教会、イタリア文化において重要な意味を持つダンテ『神曲』における、地獄篇について、ザックリと解説してみたいと思います!
『神曲』の地獄篇をザックリ解説!
『神曲』の構成
同作品は地獄篇・煉獄篇・天国篇の三部に分かれています。
物語は著者ダンテ自身が三つの世界を旅するという体裁をとっています。そして今回紹介する地獄篇には古代ローマ時代の詩人ウェルギリウスが先導人として登場します。
ダンテは生前の行いのゆえに罰せられる人々と時に言葉を交わしながら、天国を目指していきます。
また著者ダンテ自身が「イタリア語の祖」と呼ばれる所以もこの『神曲』にあります。その理由は、この作品が当時の教養人の共通語のラテン語ではなくトスカーナの方言で書かれたことによります。
ここで使われたトスカーナ方言が後のイタリア語の成立の源となったことも『神曲』の持つ大きな意義の一つです。
ダンテ・アリギエーリはどんな人?
ダンテ・アリギエーリは1265年に貸金業を営む一家に生まれました。修道院付きの学院に通って学問を修めたのち、フィレンツェ共和国の統領の一人に就任しました。
しかし当時の権力争いによってダンテはフィレンツェを追放されてしまいます。
この権力争いはローマ教皇と(神聖)ローマ皇帝という二つの権威による闘争でした。フィレンツェにおいても白派(教皇党)と黒派(皇帝派)に分かれ、権力闘争が展開されていました。
ダンテは前者に属していましたが、黒派の起こしたクーデターによって亡命せざるを得なくなってしまったのです。
亡命しながら政権奪還を画策する中で、彼は『神曲』の執筆を開始しました。そのままダンテは執筆を続けながら北イタリアの各都市を放浪します。
1321年、ダンテはラヴェンナで故郷フィレンツェに帰りたいと願いながらその生涯を閉じました。
地獄篇はどんな物語?
『神曲』における最初の物語が地獄篇で、その名の通りキリスト教における地獄を描いています。物語はダンテが暗い森にふと迷い込んでしまうところから始まります。
そこに詩人ウェルギリウスが現れ、煉獄が終わるまでダンテを導きます。
ウェルギリウスは常に怯えるダンテを叱咤激励し、頼れる先生のような存在です。途中に登場する恐ろしい怪物たちにも怯むことなく果敢に相対します。
なお地獄篇にはダンテを追放に追いやった政敵も数多く登場します。作中で彼らは様々な形で責め苦を受けています。
筆者の私見ですが、ダンテ本人も彼らに対する私怨を晴らすという目的がなかったわけではなかったのでしょう。
ダンテの地獄はどんなところ?
『神曲』における描写やボッティチェリの『神曲挿絵』などによれば、地獄は漏斗状になっていて九つの圏で構成されています。生前にどのような罪を犯したかによって、どの圏で罰せられるかが決まります。
例えば、第二圏には淫乱の罪を犯した魂たちが、第四圏には貪欲の罪を犯した魂たちが罰せられています。
第一圏(辺獄、リンボ):正しく生きたが洗礼を受けなかった者たち
第二圏:淫乱
第三圏:飽食
第四圏:貪欲
第五圏:怒りと怠惰
第六圏:異端者
第七圏:暴力者
-第一小圏:暴君、殺人者、強盗
-第二小圏:自殺、家産浪費
-第三小圏:神を罵った者、同性愛者、銀行家
第八圏(悪の巣窟、マレボルジェ):他人を欺いた者
第九圏(コキュートス):裏切者
ちなみに第一圏の入り口にある門に、有名な一言「この門をくぐる者、一切の望みを捨てよ」と刻まれています。
第七圏から第九圏はさらに細かいゾーンに分けられており、それよりも浅い圏にいた魂たちよりもより重い罪で罰せられています。ダンテの地獄においては「知性を働かせて他人を陥れる罪」がより重いとされています。
特に「裏切りの行為」は非常に重く、最下層の第九圏においては裏切りを働く対象に分けられて魂が責め苦を受けています。
罰を与えるのはどんな存在?
地獄で罰を与える存在というと、鬼のことを想像する人も多いかもしれません。キリスト教においては、それが悪魔であるというイメージも強いと思います。
ですが実は、悪魔だけが罰を与えるというわけではありません。
ダンテは地獄にギリシャ神話の登場人物たちを数多く登場させているのです。例えば半人半馬の怪物ケンタウロスは弓矢で武装し、第七圏の第一小圏を守護しています。
加えて第七圏全体は牡牛の怪物ミノタウロスが守護しています。
とはいえ、ギリシャ神話の登場人物が地獄篇において常に罰を与える側であるとは言えません。例として、神話上の英雄イアソンは愛した女性を裏切り続けたとされ、罰せられる側の存在です。
ダンテの地獄は他宗教の地獄とどういうところが違うの?
地獄という死後の世界は、何もキリスト教世界のみに存在するものではありません。仏教やイスラーム教においても地獄は存在します。
日本人の多くに馴染みのある仏教について比較してみます。いくつかある相違点のうち、顕著なものは「①地獄からの脱出の可否」と「②罰が重くなる要因」です。
1.地獄からの脱出の可否
キリスト教において地獄に堕とされた魂は、煉獄や天国に向かうことは出来ないとされています。生前に犯した罪を覆すことはできず、その魂たちは永遠に地獄で責め苦を受けなければならないということです。
仏教においては地獄に堕とされたとしても、新たな生を受けるチャンスがあります。(輪廻転生)
2.罰の重くなる要因
先述した通り、他人を欺いたり裏切ったりした罪がキリスト教では重く、それらを犯した魂たちは深層で罰せられています。一方で肉欲や食欲などといった本能に基づく罪は比較的軽いものとされています。
仏教においては、罪が知性に基づくから最も重くなるというわけではありません。宗派による違いもありますが、基本的には殺生の種類と数によって罰の重さが変化するという考え方ができるでしょう。
さいごに
『神曲』は、キリスト教世界における死後の世界のイメージを、読者が具体的に想像するための助けとなりえる作品と思います。三部作全てを読むのは大変ですが、地獄篇だけでも手に取ってみることをお薦めします。
またダン・ブラウン原作の映画「インフェルノ」は『神曲』地獄篇が重要なキーワードとして登場します。原作にせよ、映画にせよ、その目でダンテの不思議な旅を御覧になってはいかがでしょうか?
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