チンクエテッレに詳しくなろう
これまでの記事ではチンクエテッレの観光の仕方やお土産、愛の小道などについて詳しく解説をしてきました。
そして本記事では、さらに一歩踏み込んでチンクエテッレのことを知りたいあなたのために、歴史や地理的な特徴、名前の由来(なぜチンクエテッレという名前なのか)について詳細に説明していきたいと思います。
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チンクエテッレの歴史
中世の歴史が最も今日のチンクエテッレと深く関係している部分です!
古代
旧石器時代
チンクエテッレは昔はcasa torre(カーサ・トッレ)という、岩でできた塔の形をした家を作って生活していたと考えられています。
チンクエテッレでの人の存在が確認されているのは、なんと旧石器時代の頃からでした。何もないただの崖と森であったこの辺りに、近くの島からやってきた人々が洞窟を掘り、そこで生活していたとされています。
新石器時代
その後新石器時代に入ると、人々は狩猟をして生活をするようになったようです。この辺りは自然が溢れ、動物も多く住んでいたことから狩人にとっては格好の場所だったのだとか。
そしてこの自然豊かな特徴はローマ帝国時代までも続いていたようです。
ローマ帝国時代
イタリア半島を中心にヨーロッパで栄華を築いたローマ帝国も、この土地には苦労したようで「リグリア人はローマ化を進める上で非常に苦戦する相手だ」と記述していたほど。
それでもアウグストゥス時代までには完全に支配下に入り、多くの奴隷労働者の流入とともに、もといた住民達はチンクエテッレ周辺の土地を捨てて去ることになりました。
中世
5つ(チンクエ)の土地(テッレ)の由来はここにあり
チンクエテッレという場所がその活動を活発化させるのは、11世紀になってからのことです。
もともとは山間のヴァーラ峡谷に住んでいた人々が、人口増加に伴って海沿いに進出し、5つの村に分かれて定住したことが今日の原型となっています。
港町ではなく農業の町だった
そして、チンクエテッレはもともとは港町としてではなく、人口増加によって食糧が必要とされた時代において、農業の町として誕生したのです。
そして作物などの輸送において、山がちな地形の長距離移動よりも、船による移動の方がずっと楽で早かったので、港が徐々に整備されていくことになります。
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利益を巡って隣国ジェノヴァと対立
作物の輸送は次第に地域のみならず、ヨーロッパや中東方面にも広がりました。そこでの利益を巡って当時港町として繁栄を極めたジェノヴァと対立し、最終的には戦争に敗れます。こうして12世紀後半には、チンクエテッレはジェノヴァ領に吸収されました。
その後はジェノヴァの海洋要塞都市として、発展していくことになり、今日の私たちの知っている姿になっていきます。
チンクエテッレの地理的な特徴
チンクエテッレは、イタリアを縦に走る山脈であるアペニン山脈の支流の一つ、リグリア=アペニン山脈に属しているため、このように山がちな地形になっていると考えられています。
アペニン山脈というとイタリア中央を真っ直ぐに抜けていくイメージがあるので、このように海沿い近くにまで分かれているとは思いもしませんでした。
ちなみにチンクエテッレの付近は、そのうちのザッタ山に属しています。
それぞれの町の名前について
チンクエテッレの5つの町が、なぜそのような名前になっているかは定かではありません。ですがそれぞれの町の名前において有力な説は残っているようです。ここではそれを取り上げます。
1.マナローラ
たとえばマナローラは「手作りの小さな神殿」という意味のラテン語「マニウム・アルラ(Manium arula)」が語源となったとされています。
2.ヴェルナッツァ
ヴェルナッツァはいくつかの説があり、その中でも主要なのは以下の3つです。
1.ラテン語で「場所」や「先住民の」という意味を持つ「ヴェルナ(verna)」から来ているという説
2.他にはヴェルナッツァの名産ワインとして知られていた「ヴェルナッチャ(Vernaccia)」に端を発しているという説
3.この村の誕生に大きく関わったヴルネティア家「Vulnetia」から取られたという説
3.コルニリア
コルニリアは、古代ローマ帝国時代にその土地を支配していたゲン・コルネリア家「Gens Cornelia」が由来になっているとのことです。また、この家の名前は、ポンペイの遺跡の文書からも発見されているようで、かなり強力な説となっています。
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4.5.残り2つ
リオ・マッジョーレは「大きい川」という意味ですが、これももともとはラテン語由来で「リヴス・マヨール(Rivus Major)」と呼ばれていたことに起源を持っています。
モンテロッソ・アル・マーレもそのままの「海のそばの赤い山」という意味です。これら2つは現在のイタリア語で解釈できるため、わかりやすいと言えるでしょう。
著名人も足を運んだ
中世から次第に港町としての特徴を表していくことになるチンクエテッレは、中世の著名人たちにとっての旅行先でもあったようです。
例えば『新曲』で有名で、ルネサンスの先駆的な執筆活動を行ったダンテもここを訪れています。またルネサンス期のボッカチオは著書『デカメロン』の中で、チンクエテッレのコルニリアとヴェルナッツァのことに触れています。
近代ですと、第一次世界大戦後、ナショナリズム的な行動を積極的に推進した詩人ダヌンツィオもチンクエテッレを訪れたとされています。
歴史を知って、より観光を楽しもう!
いかがでしたか?観光地の歴史をしってから訪れれば、より旅が楽しいものになるはずです。これ以外にも他の記事でチンクエテッレの魅力を開設しているので、興味がありましたら是非目を通してみてくださいね!
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