ローマの一つの時代が、幕を閉じた
ローマに1年間の派遣留学中の私としては、まさか偶然今年に、ローマのレジェンドであるフランチェスコ・トッティ選手が退団するとは思ってもみませんでした。
インテルのサネッティ選手、ユヴェントスのデルピエロ選手、ミランのマルディーニ選手などと並び、間違いなくクラブを代表する選手であったトッティ選手。普段、私はインテリスタ(インテルのファン)なため、ローマにはあまり興味が無かったのですが、周りのロマニスタ(ローマのファン)に染められ、チームの選手の顔ぶれや簡単なプレースタイルくらいは分かるようになっていきました。
生粋のロマーノ(ローマ人)である彼の退団。ローマという街は、人は、どのように送り出したのか。本記事ではそんなことを取り上げてみたいと思います。2ページ目では、トッティのコメント・手紙を全て翻訳したものを掲載しました。よければご覧ください。
(ここより先、敬称略)
ローマとトッティ
何よりもロマーノに愛されたトッティ
まずローマにいて感じるのは、トッティは本当にローマの誰からも愛された存在だということ。「チームを代表する選手」「チームの象徴」なんて口では容易く言えるし記事にもできる。ですがそうなるのがどれだけ大変なことなのか。
ちょっとのミスで手のひらを返し、スタジアム中に叱責され、時には差別的な発言まで飛び交うカルチョ。その中で常に第一線で戦い続ける彼の背中に、ロマニスタは恋をするようになります。
彼自身生粋のローマっ子
トッティ自身、ローマで生まれローマで育ってきました。一時は現セリエDのローマ・トラステヴェレに在籍したこともありましたが、そのサッカー人生のほぼ全てをASローマと過ごしてきました。
現在、ローマの住宅街地域であるEURに大きな家をかまえ、まさに生活全てがそのままローマで構成されています。ホームステイ先の親戚は、何回かトッティの奥さんを見かけたことがあるそうです。私もトッティの家2軒がどこにあるか知ってます笑 「ここはトッティの家だよ」と耳にタコができるほど言われてきました。
ローマに残り続けたこと
だからこその愛着でしょう。そしてこれまでトッティには、他チームへの移籍の話もありました。それでも彼がローマを選び続けたのは、まさに「ローマのため」と言ってもいいはず。
ナポリでプレーしていたアルゼンチン代表FWゴンザーロ・イグアインがライバルのユヴェントスへ移籍した際、ナポリがどうなったかご存知の方は多いでしょう。それだけイタリアのクラブというのは、中心選手に対してクラブへの真の愛、忠誠心を要求します。
金のためじゃない、ローマのため
親友のロマニスタのルーカが、サッカーを見ながら、FIFAをしながら時々口にすることがあります。非常に印象的だったので載せたいと思います。そして、これを書きたくて記事にしました。
「ローマのため、ローマの誇りのために戦っているのはトッティとデ・ロッシだけだ。ナインゴランもジェコもマリオ・ルイスも強いし好きだけど、彼らはお金のためにローマを選んだ。」
少し極端な見方とも言えるでしょう。ですが、それだけトッティやデ・ロッシなど、若い時からローマを背負って戦ってきた選手は愛されているのです。明るい性格とは裏腹に、意外と保守的だったり排外的だったりするローマ人。なにより自分の街が好きなローマ人。そんな人々の気持ちを一身に背負って生まれたスターが、デ・ロッシであり、トッティであることは間違いありません。
これらは、ややまとめにくいのですが、とにかく私がローマで生活していて見えた「愛」です。
ラストマッチ・ジェノヴァ戦の1日
では、トッティの最後の試合となったジェノヴァ戦のお話をしたいと思います。ご存知の方も多いと思いますが、結果は3-2での勝利。
試合開始前
普段はサッカーに興味がない人までもが彼の名前を口にし、普段は「サッカーなんて」と呆れ気味の女性たちも「来週にはトッティが引退だねえ」とニュースを見ながらそわそわ。
日曜だったこの日。家では試合開始前から83歳のおじいちゃんが「トッティは出てないのか」とそわそわし始め「なんでスパレッティ監督はトッティを信頼しないんだ全く」と呆れる始末。
放映権を持たない番組では、試合は映せないので、ひたすら解説者が試合を見ながら解説する番組もあったほど。いかにトッティのラストマッチにローマ中の注目が集まっていたかが伺えます。
試合中
トッティは後半の出場
後半開始時にトッティが投入されると、住宅街からは大勢の歌い声が。私の部屋は8階なので、どんだけ大きな声で歌ってるんだって感じでした。後半開始時からトッティはサラー選手と交代で投入され、起点となるパスなどを中心に攻撃を組み立てていました。
シーソーゲームに湧き上がるローマ
後半開始時は1-1でしたが、後半30分にローマが追加点。ですがその後追いつかれ、試合時間残り10分で2-2の厳しい状況。ですが後半43分にベロッティが決勝点!その瞬間、私の住んでいる住宅街から一斉に怒号のような騒ぎ声と超大きな爆竹の音が響き渡ります。これまでこんな騒ぎになった試合を見たことがありません。
そして試合が終了し、3-2でローマが勝利すると、またも勝利の雄叫びと爆竹やら花火やらで大変な騒ぎ。正直、ローマにいてこれほどまでにサッカー熱を感じたことはなかったのですが、みんな心のどこかでロマニスタなんだな、と思った瞬間でした。
その後の食卓はもう親戚一同トッティの話で持ちきりでした。サッカーなんて見もしない人たちでも、トッティの話はしたいんだなぁなんてちょっとしみじみしていました。
試合後
引退セレモニーは感涙もの
試合後に行われた彼の引退セレモニーでは、多くのロマニスタが感激の涙を流しながら行われました。以下トッティのスタジアムでのコメント・手紙を紹介します。
コメント
みんな大丈夫?ついに時が来てしまった。みんないる?コンサートみたいだね。残念ながら来てほしくなかった時が来てしまった。残念だけど、来てしまった。ここ数日、色んなものを読んできた。
本当に毎日一人で泣いていて、おかしなやつみたいだったよ。25年間のことなんて忘れられるわけがない。ずっとみんなが私の背中を支えてくれていた。どんな時も、例えチームの状況が良くなかった時でも。だから、ここにいるみんなには感謝してるよ。
俺はそんなに言葉は知らないけど、何とか考えてきた。ここ何日か、妻と一緒に座って、このチームでのことを語ってみたりしたんだ。けど、みんなにも手紙があるんだ。読み切れるかは分からないけど、試してみるよ。
もしダメだったり、読みたがってる娘にやってもらうよ。泣いてしまってごめんね。なかなかうまくいかないんだ。そろそろ始めよう。お腹もすいてきたし。
手紙全文
ありがとうローマ。私のマンマにもパパにも、兄弟も、親戚も友達もありがとう。そして私の妻、そして3人の子どもたちにも、ありがとうを言いたい。こんなちょっとのメッセージでも、感極まってしまって最後まで上手く読めるかわからないから、感謝の言葉から始めさせてほしい。28年もの物語を短い言葉で語ることなんてできないから。自分の気持ちを歌や詩にのせたりできたらよかったけど、そんな才能もないんだ。だから小さい頃からずっと、この足を通して自分を表現しようとしてきた。それが自分にとっては一番簡単だったし。
ところで、私が子どもの頃から好きな遊びって何か知ってる?もちろんサッカーボールだ!もちろん今でもそれは同じ。それでも人生で、いつか大人にならなきゃいけない時はくる。こんなことを言われて、時は来てしまったんだ。時なんて皮肉なものだ。2001年6月17日(ASローマがセリエA優勝決定戦でリードしていた時)には、主審の3回の笛(試合終了の合図の笛)を聞くのが待てなくて、本当に早く時間が過ぎてほしかったのに。今でも考えただけで鳥肌が立つ。
時は私の肩をたたきながら言うんだ。「もう大人にならないと。明日からは君は大人にならなきゃ。ユニフォームとスパイクを脱ぎなよ。今日から大人になるんだから、芝生の匂いをこんなに近くで感じることも、相手ゴールに向かって走りながら顔に受ける太陽も、アドレナリンに消耗されることも、歓喜に湧く幸せも感じられなくなる。」
ここ数カ月間、なんで夢から覚めなきゃいけないのか問い続けてきた。小さい頃、何だかいい夢を見ていた時に、まだ寝ていたいのに学校に行けってマンマぶ起こされたりしたことってあると思う。どんな夢だったか最初から思い出そうとしても、絶対うまくいかないんだ。今回は、夢じゃなくて現実なんだ、夢は終わってしまった。
もう、ちゃんと喋れなくなってきた。この手紙を、私を応援してくれた子どもたちに、昨日まで子どもだったけど、もう大人になっちゃった人に、今『トッティゴール』と叫びながらチャントを送ってくれている子どもたちに捧げたい。
のキャリアが、子どもたちに聞かせるおとぎ話になるのもいいかもね。今、本当に終わったんだ。まだ、「終わりにしよう」って言う準備もできていないし、一生無理なのかもしれないけれども、このシャツを脱ぐのも最後だ、丁寧に畳みたい。
ここ最近、試合後のインタビューを受けなかったり、自分の進む道をハッキリさせなかったりして、申し訳なかった。だけど、明かりを消すのは簡単なことじゃないんだ。今も私は怖い。
PKでゴールの前に立っているときだって、これほどは怖くない。今回は、これから何があるのか、ゴールネットを通しては見えないんだ。少し怖がっても許してほしい。今の私には、いつものような熱い魂や、みんな自身が必要なんだ。
みんなの愛があれば、きっと僕は次のページを開けるし、次の冒険にも飛び込めると思う。
今度は、ASローマのチームメイトや、コーチ、スタッフ、会長たち、僕の横で常に働いてくれた(闘ってくれた)人々に感謝したい。ロマニスタやクルヴァ・スッド(ローマの本拠地・スタジオオリンピコで、ローマファンが常に応援を続ける南ブロックのゴール裏)、そしてローマのみんなにもありがとうと言いたい。
ローマ人として、ロマニスタとして生まれたことは最高の特権だ。こんなチームでキャプテンをできたことは僕の誇りだ。君たちはいつも僕の人生だ。これからはこの足でみんなを熱狂させることはできないだろう。
けれども、僕の魂は常にみんなと共にある。もう階段を下りて、私を子どもとして受け入れてくれていたロッカールームに入って、大人の男としてロッカールームを去ることにする。
私の28年間の愛をみんなに捧げることができたことを誇りに思うし、幸せに思います。愛しています。
原文そのままはこちらより
花火が上がる
最後に夜の11時ごろ、本気の打ち上げ花火が20分ほどローマの中心地であがり、トッティの引退は、幕引きとなったようです。
トッティを受け継ぐ者は現れるか
こんなことを書くのはやや愚かかもしれません。彼の後を継ぐ者などいるわけもないのですが、つい期待してしまうのも事実です。これからのチームは間違いなくデ・ロッシが引っ張っていくことになるはずです。ですが彼も既にベテランの域。
これからのチームをカピターノとして担っていくのは誰でしょうか。セレモニーで涙を流したフロレンツィかもしれない。今は下部組織に所属するトッティの息子かもしれない。いつかまたTotti è la Roma(トッティはローマだ)のような選手が現れるのを、密かに楽しみにしています。
(アイキャッチ画像は、ASローマの公式Instagramより)
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