はじめに
皆さんは外国語を学ぶ時、どんなモチベーションで勉強していますか?特にこのサイトを見てくださっている皆さんの中には、イタリア語を勉強している人も多いと思います。
今日紹介するエッセイの著者、ジュンパ・ラヒリはインド系アメリカ人の小説家で、母語のベンガル語ではなく、英語で書かれた『停電の夜に』や『その名にちなんで』といった小説が有名です。
しかし彼女は、学生の頃に旅行したイタリアで、イタリア語の響きに特別な親しさを感じ、それから20年後、夫と二人の息子とともにローマに移住してしまいました。イタリア語に恋をしたラヒリは根気よくイタリア語と向き合い続け、ついにはイタリア語でエッセイを書くに至ります。
今回はこの、ジュンパ・ラヒリによってイタリア語で書かれたエッセイ、『別の言葉で(In altre parole)』を紹介したいと思います。
著者について
ラヒリは1967年にベンガル系インド人の移民の娘としてロンドンで生まれ、そして彼女が3歳の時にラヒリの家族はアメリカへと移住しました。家ではベンガル語を、家の外では英語を話すという生活を小さい頃から送っていたラヒリは、「祖国も真の母国語も持たない」ような思いを抱えながら生きてきました。
わたしは二つの言語のどちらとも一体になれなかった。(…)わたしはこの二つの言語の間で迷い、苦悩していた。二つの言語を行ったり来たりすることで混乱していた。自分では解決できない矛盾のように思われた。 (『別の言葉で』「三角形」より)
エッセイの中の「三角形」の中で、ラヒリは自分の中でのベンガル語と英語の関係をこのように書いています。そしてこの後、彼女の「言語遍歴にイタリア語が加わったことで、三角形が形成される」というのです。彼女にとってイタリア語は、彼女の人生におけるベンガル語と英語の長い対立から救い出してくれる第三の言語でした。
『別の言葉で』
ラヒリが初めてフィレンツェを旅行した時のことが、このエッセイの中で綴られています。
道でクリスマスの挨拶を交わす子供たちの興奮を聞き取る。朝ホテルで部屋を掃除する女性が「Avete dormito bene?(よく眠れましたか?)」とわたしに聞く声に優しさを聞き取る。歩道でうしろを歩いている紳士がわたしを追い越そうとして、「permesso?(よろしいですか?)」とたずねる声にわずかな苛立ちを聞き取る。
わたしは返事ができない。どんな会話をする能力もない。聞くだけだ。店やレストランで耳に入ってくる言葉は、すぐさま激しく矛盾した反応を引き起こす。イタリア語はもうわたしの中にあるようなのに、同時にまったく道のものだ。外国語だと分かっているのに、そんなふうには思えない。おかしいと思われるかもしれないが、親しく感じられる。ほとんど何も分からないのに、何かがわかる。 (『別の言葉で』「雷の一撃」より)
このような気持ちを、同じくイタリア語学習者の皆さんも感じたことはないでしょうか?
かるい旅行で、あるいは満を辞して訪れたイタリアで、初めてイタリア語に囲まれて、その明るく弾むようなイタリア語の響きに魅了されるのに、上手く聞き取ったり話したりすることができないもどかしい気持ち。
ラヒリはこの時、イタリア語に対して「まだ知らないことばかりなのに、何年も前から知っているような」気持ちがしたといいます。ラヒリはそのあと帰国しますが、イタリア語に触れられないことに寂しさを覚えて、自分でイタリア語を勉強し始めます。
イタリア語だけでなく外国語を学んだことがある人は皆、このエッセイを読むと、ラヒリがイタリア語を学びながら感じた喜び、驚き、悔しさやもどかしさを一緒に体験するような気持ちになるかもしれません。
ラヒリのイタリア語学習
ラヒリのイタリア語の学習法はオーソドックスながら、とても勤勉で地道なものであることがこのエッセイを読めば分かります。ラヒリは初め、辞書をつねに肌身離さず持ち運んでいたそうです。
現在ではイタリア語を読むときに辞書は使わず、知らない単語や印象に残ったフレーズに下線を引いておいて、読み終えると単語をしっかりチェックし手帳に一覧表を作るといいます。手帳に書きとめた言葉とのこんなエピソードも載っています。共感する人も多いのではないでしょうか。
誰かと話しているとき、その単語のことを考える。手帳に手書きしてあることはわかっている。(…)だが、使いたいときには、その単語は逃げてしまって捕まえられない。ページの上にはあるのだが、わたしの頭に入っていないから、口から出てこない。手帳に埋もれたままで役になってくれない。覚えているのは書きとめたという事実だけだ。 (『別の言葉で』「言葉の採集」より)
他にもラヒリがイタリア語で日記を書いたり、半過去と近過去の違いに苦しんだりするエピソードに強い親近感を感じる人も多いでしょう。イタリア語を話せるようになってからも、そのアジア的な顔立ちゆえに、店員に「May i help you?」と話しかけられて落ち込んだ、というエピソードに筆者も強い共感を覚えました。
しかしついにラヒリはイタリア語で短い小説を書きはじめます。小説をイタリア語の先生に渡すと書いた文字と同じくらい赤ペンでの添削が入っていたそうです。それでもラヒリは小説を書き続け、あるとき一つの物語が丸ごとイタリア語で頭に浮かぶ、という経験をしました。
この時の強い衝撃がラヒリにイタリア語で書くことを選択させ、ついにはこのエッセイの出版にまで至りました。エッセイの中には『取り違え』と『薄暗がり』という二つのイタリア語で書かれた掌編が収録されています。
『別の言葉で』は新潮クレスト・ブックスから日本語訳が出版されていますが、ラヒリがどんなイタリア語を書いたのか気になる人は原書で読んでみるのもおすすめです。
おわりに
『別の言葉で』はイタリア語へのラヒリの情熱が詰め込まれた日記のようなものと言えるかもしれません。とくにイタリア語学習者のみなさんは、ラヒリの情熱的な秘密の日記を垣間見ることで、イタリア語学習への欲求を強く掻き立てられること間違いなしです。
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