緑豊かなこの山あいの小さな町に、あなたは見覚えがありますか。ラツィオ、マルケ、ウンブリア、アブルッツォの州堺にあり、イタリア語で「大きな石」を意味するグランサッソとモンティ・デッラ・ラガ国立公園のふもとに位置する「アマトリーチェ」です。
2016年8月24日に発生したイタリア中部地震では大きな被害を受け、日本でもニュースで取り上げられたため、町の名前は知られるようになりました。世界各国のイタリアンレストランでは、郷土パスタのアマトリチャーナを食べて売り上げの一部を募金して応援しようという活動も起こりました。この写真は地震の前のものです。あれから間もなく4年。現在の様子をお伝えします。
「アマトリーチェ」ってどんなところ?
ローマから約140キロ。ローマと同じラツィオ州にあり、イタリアのほぼ中心に位置します。標高約1000mの高所のため、夏でも涼しく風光明媚な景色は、トレッキングやツーリングに人気があり、イタリア国内だけでなくドイツやフランスからも長期滞在客が訪れる観光の町でした。ここで暮らす人の多くは、土産屋、レストラン、ホテルなどの観光業に携わっていました。
生い茂る樹々のあいだの牧草地では、牛や羊が放牧されていて、耳を澄ますと鳥のさえずりや動物たちの鳴き声が聞こえてきます。自然の中に身を置き、山歩きに汗したり、雲を眺めながらゆっくり時間が過ぎるのを感じたりしながら日中を過ごし、夜は地元産のグァンチャーレ(豚のほほ肉に塩漬け)とペコリーノチーズ(羊のチーズ)を使った伝統パスタのアマトリチャーナでお腹を満たす。こんなふうに過ごしながら、自然を五感で感じられるところです。
町の様子
1. 人々
地震発生前の2015年に2,657人だった人口は、2019年11月末の時点で2,439人です。ほかの土地に新居や仕事を求め、アマトリーチェを離れる人が少なくありません。
住民の大抵は顔見知りです。例えば、道で見かけない若者を見かけると「あなた、どこの息子?(または娘)」と話しかけ、若者が母親の名前を述べると「ああ、マリアのとこね。彼女は・・・」と自分と母親の繋がりを一通り話し終え、そしてまた歩き出す。という風です。人懐っこいイタリア人らしさがうかがえます。
2. 町並み
町の中心をウンベルト1世通りが縦断し、13世紀に建立された高さ約25メートルの「Torre civita(市民の塔)」は地震に耐え、今も町のシンボルです。残念ながら、歴史的建造物や住宅の多くは地震で倒壊しました。瓦礫の撤去は継続して行われていますが、進捗は非常に遅く、現在もその山は至る所に残っています。困難と向き合い、これからもこの土地で生きていこうと励んでいる人々にとって、まだ片付けられない瓦礫を目にすることは、悲しみが増すだけです。
被災した方が暮らす仮設住宅では、湿気によるカビの発生や住居素材の腐敗という問題も発生しています。
Fanpage.itの取材に対し、仮設住宅に住む人は「地震から3年経つ今も、テントやキャンピングカーで移動する放浪者のように当てがわれた住まいを転々としている。心が安らぐ場所ではない。」と語っています。
アマトリーチェで暮らす友人の言葉です。「私たちのために世界中からたくさんの応援の言葉やお金が送られたことに、とても感謝しています。前を向いて生きていく大きな支えになりました。でもお金が全て有効に使われているとは思えません。なぜなら使い道は国や州によって決まられ、アマトリーチェで決められる事は少ないからです。」
いくつかのレストランやホテルは営業を再開しましたが、以前のようにアマトリーチェに長期滞在する観光客の姿はありません。国立公園を目指す人の通過点に過ぎません。観光の町として、再び観光客が訪れるようになることを心から願いますが、先はまだ見えません。
3. 復興へ
2019年4月、調理や接客などを学ぶ専門学校「Alberghiero di Amatrice」は地震後場所を移して授業を行っていましたが、3-4年生の学びの場として約50人の学生がアマトリーチェでの授業を再開しました。必要資金の一部は、自治体が募っている「ADOTTA UN’OPERA」という復興支援の募金に寄せられたものです。ホームページに復興プロジェクトのリストが掲載されていて、支援を希望する人は支援内容を選んで寄付をすることも可能で、必要なことに早く支援金が使われる仕組みになっています。学校再建のために、約90万ユーロ(約1億7百万円)が使われました。若者が集う学校の再開は住民の願いで、困難を乗り越えた証のひとつです。
今年の8月には、新しい総合病院の建設が始まる予定で、こちらにもADOTTA UN’OPERAの支援金が約31万ユーロ(約3千7千万円)使われました。
イタリア国内でもアマトリーチェについて取り上げられる機会は少なくなりましたが、継続した支援が必要です。日本では、「アマトリチャーナを食べてイタリアを救おう!!」と震災チャリティ・イベント、アマトリチャーナデイが震災後2016年から始まり、今までに4回開催されました。イベントでは全国から集まったシェフ達がアマトリチャーナを始め、イタリア郷土料理に腕を振るいます。
さいごに
私たちの応援の気持ちは、アマトリーチェの人々に届いています。これからも応援していきましょう!アマトリーチェでは、今の季節、樹々の緑がまぶしく輝いています。
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