ビチェリン(Bicerin)という飲み物を知っていますか?ビチェリンは日本ではあまり知られていませんが、実はトリノでは知らない人はいない、トリノの冬の定番ドリンクです。この記事ではそんなビチェリンの魅力と、それを愛した文豪について紹介します。
ビチェリンとは?
トリノの冬の定番
ビチェリンはホットチョコレート・エスプレッソ・クリームの三層からなるノンアルコール飲料です。2001年には通称PAT(I prodotti agroalimentari tradizionali)というイタリアの伝統的な食品リストに登録されました。
ビチェリンの歴史は18世紀のBavareisa(バヴァレイザ)という飲み物にさかのぼります。バヴァレイザはホットチョコレート・エスプレッソ・ミルク・シロップでできた18世紀当時トリノで流行していた飲み物で、大きなグラスで提供され、トリノ人の朝食として親しまれていました。
そしてこのバヴァレイザがアレンジされてできたのがビチェリン。ピエモンテ語でBicerinは“小さなグラス”を意味し、大きなグラスで提供されていたバヴァレイザと異なり、その名の通り、小さめのグラスで提供されます。また、バヴァレイザは混ぜて提供されていましたが、ビチェリンは混ぜずに提供されるというのも違いのひとつです。
カフェ・アル・ビチェリン
このようにしてビチェリンを最初に生み出したのが、Caffè Al Bicerin(カフェ・アル・ビチェリン)。1763年にトリノで創業した、現在まで250年以上続いている老舗カフェです。
カフェ・アル・ビチェリンはヨーロッパ最大のマーケットのひとつであるポルタ・パラッツォの近くにあります。店内に入るとすぐに、その格調高く歴史を感じさせる雰囲気に魅了されるでしょう。
レトロな色合いの木の壁、こぢんまりとした店内に並ぶ白い大理石のテーブル。ひとつひとつのテーブルには蝋燭の炎が灯っています。ここは数々の映画のセットとしても使われているほど、とても素敵な雰囲気を持つカフェなんです。
世界中からお客さんが集まるカフェであるにも関わらずどこか隠れ家的魅力があり、初めて訪れても不思議と落ち着ける場所です。
そしてこれがビチェリンです。ビチェリン発祥のお店なだけあって、お店を訪れるほとんどのお客さんがこのビチェリンを注文します。上の白いものがクリーム、その下にエスプレッソ、一番下の層がホットチョコレートです。
提供される際にお店の人からも言われるように、混ぜずに飲むのがビチェリンを楽しむ秘訣。混ぜずにそのまま口に運ぶと、まずクリーム、そしてエスプレッソ、最後にチョコレートが口の中に広がります。クリームに甘みはありませんがエスプレッソの苦みをまろやかにしてくれ、遅れてチョコレートの甘みを口の中に感じます。
混ぜずに飲むことで口の中で混ざり合う3つの材料のハーモニーを楽しむことができます。また、飲み進めていくにつれこれら3つの割合が変化し、初めはエスプレッソの苦みの方が強く感じますが、最後にはホットチョコレートの濃厚な味わいへと変わります。このように変化しゆく味を楽しむことができるのもビチェリンの魅力のひとつです。
ビチェリンだけを頼むこともできますし、このお店はクッキーもとても美味しいので、写真のようなビチェリンとクッキーのセットを頼むのもおすすめです。
【Caffè Al Bicerin dal 1763 店舗情報】
住所 | Piazza della Consolata, 5, 10122 Torino |
営業時間 | 月・火:8:30-19:30、水:定休日、木−日:8:30-19:30 |
公式ホームページ | https://bicerin.it |
公式SNS |
ビチェリンと文豪たち
250年以上もの歴史を持つこのカフェには、そうそうたる人々がお客さんとして訪れてきた歴史があります。ガリバルディ、マッツィーニと並んで「イタリア統一の三傑」と呼ばれるイタリア王国初代首相のカミッロ・カヴール。「神は死んだ」という有名な言葉を残した哲学者ニーチェ。『蝶々夫人』『トスカ』などの世界的に有名なオペラの作曲者であるジャコモ・プッチーニ。
そして忘れてはいけないのが、ウンベルト・エーコ。全世界で5500万部を超える大ベストセラーとなり映画化もされたミステリー小説、“Il nome della rosa”(邦題:『薔薇の名前』)の著者です。
イタリアでは知らない人はいない小説家・学者である彼ですが、実はトリノにゆかりのある人物でもあるんです。というのも、エーコはトリノ大学出身者であり、トリノ大学で先生として講義を行なっていた時期もあるからです。
そんなエーコもこのお店を愛するお客さんの一人でした。2010年(日本語翻訳版は2016年)に発表された小説“Il cimitero di Praga”(邦題:『プラハの墓地』)の中で彼は、カフェ・アル・ビチェリンとビチェリンについて書いています。
……当時のトリノの伝説的な場所のひとつに足を延ばした。イエズス会士の姿に驚く周囲の反応を楽しみながら、コンソラータ教会近くの《カフェ・アル・ビチェリン》に行き、金属製のホルダーと取っ手のついたグラスで、牛乳とココア、コーヒー、さまざまな香料の香りがする飲み物を味わった。私の英雄のひとりアレクサンドル・デュマが数年後にビチェリンについて書くことになるとまだ知らなかったが、その不思議な場所を二度三度訪れただけで私はその美味な飲み物についてすべてを知った。バヴァレイザから生まれたものだが、牛乳とコーヒーとチョコレートが混じっているバヴァレイザに対して、ビチェリンは(熱々の)三層に分かれたままで、コーヒーと牛乳のビチェリン・プール・エ・フィウール、コーヒーとチョコレートのプール・エ・エルバ、そしてすべてが少しずつ入ったン・ポク・ド・トゥトを注文できる。
魅力的な店だった。外装は鉄枠で両脇に看板、鋳鉄製の柱と柱頭があり、室内は鏡で飾られた木張りの壁と大理石のテーブルがあって、カウンターの向こうに並んだ壺にはアーモンドの香りのする四十種類もの砂糖菓子が入っている……。特に日曜日に人を観察するのが私は好きだった。その飲み物は、聖体拝領のために断食した人がコンソラータ教会から出てきて欲しがる美酒だった−−。ホット・チョコレートは食べ物とみなされていなかったので、ビチェリンは四旬節の断食の際にもてはやされた。偽善者め。
しかしコーヒーとチョコレートの美味しさは別にして、私が楽しんだのは別人のふりをすることだった。つまり私が本当は誰なのかを人々が知らないことに一種の優越感を味わった。秘密をひとつ手にしていたのだ。
ウンベルト・エーコ著/橋本勝雄訳,『プラハの墓地』,東京創元社,2016年 より
大作家であるエーコが、大切な自分の小説の中にも登場させるほど、カフェ・アル・ビチェリンとビチェリンを愛していたことがうかがえます。この一節は、お店のテーブルに置いてある紙ナプキンにも印刷されていますので、見逃さずにぜひ手にとってみてくださいね。
『プラハの墓地』("Il cimitero di Praga")について
『プラハの墓地』はエーコ6作目の小説。ヒトラーなどに影響を与え、結果的にホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)を引き起こす原因のひとつとなったという実在する文書、『シオン賢者の議定書』にまつわる長編歴史ミステリー小説です。
祖父の影響でユダヤ人に対してひどい嫌悪と差別意識を持つ主人公シモーネ・シモニーニが、文書偽造家として19世紀ヨーロッパで暗躍し、史上最悪の偽書といわれる『シオン賢者の議定書』成立に関わっていく……というお話です。
差別や嫌悪、憎しみの感情を読者が嫌気を感じてしまうほど鮮明に描き出しながら、しかしその綿密に作り込まれたストーリー性で読者を引きつけて離さない作品です。
ともすれば重苦しく堅いものにもなりそうなこの作品を彩っているのが、美食家でもあるシモーネが、さまざまなレストランや料理について描写しているシーン。そのシーンのひとつが、引用したビチェリンのシーンです。
ビチェリン以外にも、トリノ名物バーニャカウダやアニョロッティなど、トリノの食についての描写がたくさん。主人公シモーネが若い頃にはトリノに住んでいたため、トリノの街や食についての描写が多く登場するんです。トリノを訪れる際にはぜひこの作品を読んでから、シモーネの訪れた場所、食べたものを追体験してみてくださいね!
日本でもビチェリンが飲める!?
ビチェリンを飲んでみたいけどイタリアはちょっと遠い……という方に朗報です。実はこのカフェ・アル・ビチェリン、日本にも進出しているんです!しかも、海外進出店舗は世界中で日本だけ。
『ビチェリン』という店名で店を構えているのは、東京では、新宿高島屋店、池袋芸術劇場店、東京ミッドタウン日比谷店の3店舗、そして愛知に名古屋ミッドランドスクエア店があります。ぜひ足を運んで、トリノ魅惑の名物ビチェリンを堪能してみてくださいね。
まとめ
今回の記事ではこれを語らずしてトリノを語ることはできないという名物、ビチェリンの魅力と、それを小説に描いた文豪について紹介しました。いかがだったでしょうか?
トリノに来たらビチェリンを飲まずには帰れません!今回紹介したカフェ・アル・ビチェリンはもちろん、このお店以外にもトリノにはビチェリンを飲むことができるカフェがたくさんあるので、いろいろなお店のビチェリンを飲み比べてみるのもおすすめです。
トリノの人々に愛され、ウンベルト・エーコというイタリアを代表する文豪も愛した歴史ある味を、ぜひ味わってみてくださいね。
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