様々な作家による自宅待機生活の現状
現在、イタリアでは首相令による外出制限等の措置がイタリア全土で原則3月10日から実施されています。
5月4日からこの厳しい制限措置を徐々に緩和していく方向のようですが、イタリアに住む人々は、1か月半以上にも及ぶ自宅隔離生活を送ることを余儀なくされています。
そんな新型コロナウイルス感染拡大とロックダウンの今のイタリア社会を26名の有名作家が自身の体験も交えて描く電子書籍『Andrà tutto bene (きっと上手くいく)』が出版されているようです。
家から出かけるのさえ困難な状況の中で、何を考え、何を感じ、何をして過ごしているのか。どんな恐怖や苛立ちや不安や焦りを感じているのか。学校にさえ行けない子どもたちはどんな状況に置かれているのか。
それぞれの作家が、様々な異なる立場や視点からイタリアの現状を綴っており、ひとくくりにはできない自宅待機生活の様子が浮かび上がってきているようです。
本書には、2019年のイタリアのベストセラー小説『I leoni di Sicilia (シチリアの獅子たち)』(約30万部の売り上げ/1月8日付けのIL LIBRAIO.IT参照)の作者ステファニア・アウチ氏のエッセイや『ローマで消えた女たち』等で日本でも知られている小説家ドナート・カッリージ氏がCorriere della Sera紙に寄稿した文章も収められています。
また、イタリア人作家だけではなく、『停電の夜に』の米作家ジュンパ・ラヒリ氏、フランス人作家でジャーナリストのフロランス・ノワヴィル氏、スペインの有名作家クララ・サンチェス氏のエッセイも掲載されているようです。
なお、゛Andrà tutto bene (きっと上手くいく)゛は、新型コロナウイルス感染蔓延に対するイタリア国内のスローガンのようになっており、同タイトルの曲やAndrà tutto beneとプリントされたTシャツもあるようです。
歌手のエリ―サとトンマソ・パラディソによる『Andrà tutto bene (きっと上手くいく)』/YouTube
また、学校が閉鎖されて家にいる子どもたちも思い思いの絵にこの言葉を書き入れたりしているそうです。
売り上げ全額をベルガモの病院に寄付
この電子書籍『Andrà tutto bene (きっと上手くいく)』の売り上げ金は、すべてベルガモの聖ヨハネ23世病院に寄付されるということです。
同病院は、新型コロナウイルスの感染拡大により甚大な被害を受けているベルガモで懸命に重症感染者等の治療にあたっている施設です。
幾つかの作品のあらすじ
本書に収められているエッセイ等の中から幾つかの作品のあらすじをご紹介していきます。
1.『UN’ORA DOPO L’ALTRA (刻々と)』
作家でジャーナリストのリタンナ・アルメーニ(Ritanna Armeni)氏が描く自宅隔離生活の様子。
ローマのバチカン美術館近くに住む老夫婦。いつもは旅行客や観光バス、売り子や呼び込みで賑やかな通りも今はしんと静まり返っている。
夫は家でじっとしていることができず、今、絶対に必要だとは思えないような物を買いに足繁くスーパーに通う。
娘は、作家の老婦人に外出を控えるようにと訴えるが、警察の命令のように高圧的だと感じてしまう。読書をしようとするが、長い本は読めない。
孫とのビデオチャットや知人たちとの電話で時間が過ぎていく。街では皆、フラッシュモブをしているが、そのようなことをするべき状況ではないと感じる。
寝る前、今の状況を考えてみる。歌う時でも抱き合う時でも笑う時でも踊る時でもない。悲しみや苦しみを拒んでもしかたがない。それでも、絶望する時ではなく、耳を傾け、じっと耐えて、助け合う時。穏やかにしなやかに。思いやりと挫けない心で。
2.『ATTRAVERSARE IL BUIO(暗闇を横切って)』
ミラノ在住の建築家で作家のジャンニ・ビオンデッロ(Gianni Biondillo)氏のエッセイ。自宅隔離生活について執筆することの葛藤も描く。
自宅待機生活についての寄稿。考えただけで気持ち悪くなってくる。夜、暗闇の中、窓を開ける。死者や感染者や入院患者のことを頭から払いのけ、強引に眠りにつこうとする。
それほど書けと言うなら、オーケー、書くよ。
2月3日から語ることにする。この日に根拠はないが、始める点がいる。ただ、俺の誕生日というだけ。友人のヴィニチョがローマから電話してきて祝ってくれた。どこか遠くで起こっていることとして中国での感染も話題に上った。
家の下のチャイニーズレストランで誕生日を祝った。ここの中国人オーナーとは家族ぐるみの付き合い。ベビーシッターがいない時、ここの子どもの1人ヴァネッサを家で預かることもある。
美味しいから行った。それに好意や同情を示すためにも。コロナウイルスの話題が出た時、皆、チャイニーズレストランを避けるようになった。まるでペスト塗りのように。ヴァネッサは人生で一度しか中国に行ったことがないのに。
レストランはほぼ空。イタリア人の筋の通らない、でたらめな人種差別的な行動を批判し合ったし、出てきた料理の写真を撮って、Instagramにあげた。「コロナウイルス、お前を食べるぞ!」と書いて。
好意を持ってやったつもりだったが、今からみるとバカ丸出しの投稿。
今から見ると、皆、バカだったように思える。今になって、ようやく分かる。気づかないうちに侵入してきていて、こっちはすでに踊っているから、どういう風に出来事が進んでいるか分からない。
2月5日、ギリシャに行く。ベルガモの空港で冗談で咳き込んでみた。中国から戻ってきてから、こうなったと同伴者に伝えながら。俺の周りから人がいなくなる。バカげた冗談。
2月9日、ギリシャから戻る。空港で防護服を着た衛生管理スタッフが乗客の体温検査を行っている。行き過ぎじゃないか。武漢ではなくてアテネから戻ってきただけなのに。
ソーシャルメディアではコロナウイルスの話題で持ちきり。俺はInstagramだけしている。娘のために。そうじゃないなら持っていない。このウイルスは、インフルエンザのようなもの。毎年何人も死んでいる。軽く見ていた。
沢山の仕事の予定。ここまではよかった。いつから壊れ始めた? そうではない。いつからすべてがすでに壊れ出していることに気づいた?
2月21日、コドーニョで初感染者が判明する。同じ頃、パドヴァでコロナウイルスのイタリア国内初の犠牲者が出る。
ロンバルディア州とヴェネト州の都市がレッドゾーンに。映画館、公共施設、学校等が閉鎖になり、娘たちは家にいることになった。テレビは2週間の閉鎖だと伝えている。初めはバカンスのようだった。
2月25日、国内外の知り合いから心配のメールが届く。大丈夫、医療体制はしっかりとしている。感染者は少ないし、重症者の多くは、他の持病を持った高齢者だから。政府の指示に従っていれば大丈夫。手をしっかりと洗って。
そうこうしているうちに、街のすべてのチャイニーズレストランがクローズになった。家の下のチャイニーズレストランのヴァネッサの母親と会話する。開けていても誰も来ないので意味がないと。
武漢がロックダウンされたとニュースで知る。イタリアで可能か。
3月5日、娘のサラと外に出かける。地下鉄はまだ沢山の人で溢れている。壊れ始めている、と感じる。死者は148名。
仕事の用事が取り消され出し、俺からも用事をキャンセルしていく。感染を防ぐためにも自転車で移動することにした。徐々に人がミラノの町から消えていく。
ようやく自分のことをバカだと分かり出した。
友人のヴィニチョに電話。何も起こっていないかのようにローマは大丈夫だと言うヴィニチョ。一年前に一緒に書こうと話した本のことは口に出さなかった。
すべては、アレッサンドロ・マンゾーニの『Storia della colonna infame(悪名高き柱に関する物語)』を再読したことから始まった。起こりえないケースとして、全くの空想として、もし今ミラノにまたペストが出現したらどうなる?
感染源、パンデミック、食料略奪、ペスト塗り、科学者、善人、悪人、主人公、敵対者。準備はできていて、あとは書くのみだった。でも、別の用事があり、後回しになっていた。
今、これを書くことを考えるだけで吐き気がする。火事場泥棒。このアイデアが今では俺を傷つける。
3月8日、自宅隔離生活についての原稿依頼から2週間が過ぎたが、できていない。中断された時間の中で書くこともできない。過ぎていかない時。テレビも見ないようになる。
戦争じゃない。パンデミック。爆弾が落ちてくるわけじゃない。電気もガスもWiFiもある。供給が切られたわけではない。だた、何年にもわたり、医療関係費用を削ってきただけ。今は医療機関に感謝を示しているが、コロナウイルス前は、汚職と不効率の場だった。
医者の友人たちは、まだ医療崩壊していないが、すぐそこまで来ていると言う。ここ、ロンバルディアで医療が崩壊し出している? まだどれぐらい持つ? 読むことも書くこともできない。
3月10日、サルデーニャの町カリアリにいる友人と電話で話す。死者は631名。ミラノでは3週間前から自宅待機生活を送っているのに、イタリアの他のところはまだ状況をよく理解していない。今では、イタリア人がペスト塗りの扱いに。
3月13日、医者を名乗るバカが、英国のテレビ番組で、イタリア人は働きなくないからウイルスを言い訳として使っていると発言。
また、数日前にはフランスで3500人がスマーフに扮して踊って、歌って、抱き合っていた。゛コロナウイルスをスマーフしよう゛。バカで気が狂っている世界。中国で人が死んでいる時にウイルスでふざけていた俺のように。
英国のボリス・ジョンソンは、集団免疫戦略を取ると。イタリアで1266名も死んでいるのに分からないのか。
落ち始めている? 皆? 落下の中で運が良い人もいる。俺のように4人家族で住むのに問題がない家を持っている人。一人で住んでいる人はどうか。母は一人で住んでいる。家に連れて来たいが、無症状感染者だったら危険ではないか。
3月14日、30年以上前からの知り合いクラウディオが感染で入院した。容態を知るためにメッセージを送る。
3月15日、スーパーの列に並ぶ。ベルガモの建築家の友人にチャット。酷い状況。この日のイタリアの死者は1809名。ロンバルディアだけで1218名。
3月19日、春が近づく。将来のことを考えないようにする。コンタクトがあるすべての人に同じメールを送る。「無事かどうかだけ教えて」と。
妻のエレナは、在宅勤務。学校のためにトレッキングを組織する団体で働いているが、キャンセルが相次ぎ、所得補償制度を利用することになっている。俺は、今月、140,48ユーロ(約1万6000円)しか稼いでいない。責任を感じる。
3月23日、中国からの医療支援物資、キューバの医師団がイタリアに到着。出版社の友人が自宅隔離生活に関するエッセイを書いて、ベルガモの病院に寄付するプロジェクトについて語る。俺のすべてが拒否する。何も語りたくない。
それでも、スーパーのレジ店員、看護師、農家、生活必需品を運ぶトラックの運転手、清掃員、警察、医者、家で授業をする先生、家で授業を受ける生徒、皆、やるべきことをやっている。
夜、窓の外を眺める。クラウディオの人口呼吸器が外され、やっと家に戻れたことを数時間前に知った。
9134名の死者。10950名の退院者。
水道屋は水道管を直し、パン屋はパンを焼く。皆が、できること、すべきことをしている。俺は、俺の痛み、傷を見せるべきだ。誕生日から語り始めよう。
外は、暗闇。椅子に腰を下ろし書き始める。
3.『SERENDIPITA´(思いもよらない新たな発見)』
1997年にイタリアの素晴らしい教師100名の中の1人に選ばれた中学教師で作家のエンリコ・ガリアーノ(Enrico Galiano)氏。遠隔授業の難しさを教師の立場から描く。
このままだと思っていたのに、急に今まで通りではない道に移ることを余儀なくされる。長い道のりで何を発見することになるかは、まだ誰も分かっていない。
ウイルスの感染が広がり始めた時、感染源とされる町コドーニョから100キロほど離れた町レニャーゴにいた。高校の生徒たちとの交流会から戻る車内だった。その会に私を招待してくれた先生と目の見えない若い作家アレッサンドロ・ボルディーニと一緒だった。
生徒たちと盲目、勇気、恐怖について語り合った。こう書いて、この3つの言葉がこれから重要になってくるだろうことに気づいた。
盲目、急に皆、目が見えなくなった。何が起きたか見ることも理解することもできなくて、何の準備もしていない暗闇の中、手探りで進むことを強制された。
勇気と恐怖。一瞬ですべてのことが勇気と恐怖を伴う行動になった。空気を吸うだけでも、空を眺めるだけでも。
そして、混乱。私が多くの時間を費やす場、つまり、学校でこのカオスは爆発した。学校が閉鎖されることになった。初めは1週間、その後、2週間に。
当初、生徒たちは歓喜したと思う。しかし、それも数日のことで学校には生徒たちの親からの心配の電話がかかってくるようになった。子どもが家に一日中いて何もしていないと。
オンライン授業ができる体制を整えるようにと学校からの通達。ウイルスによって学校で授業ができなくなるとは思いもしなかったので、戸惑い、準備も遅れてしまった。
家の中をうろうろする子どもたちに困り果てる親。また、学校からの通達。とにかく一刻も早くネット授業を始めるようにと。
家からのオンライン授業を開始するのに時間がかかったことは本当。でも、予期していないことが起こったからじゃない。教師とは、常にいつも予期しないことに立ち向かう仕事。急に使えなくなる教室、本を持ってきていない生徒、全く作動しないコンピューター。不意の出来事の連続。
何か不自然なことを要求されているということ。離れたところから授業をすることを求められている。でも、離れたところから教えるのは難しい。面と向かって授業できないのは、生易しいことではない。
25名の生徒を前に教室にいる、この感情を知らない人には簡単に思えるかもしれない。教室でやっていたことを、今度は携帯電話の前でするだけ。または、録音して、パワーポイントを作って生徒に渡して終わり。
学校での授業はそうじゃない。
教えることは、何か材料を、ここに少し文法を、ここに少し歴史をと、一緒に置くだけじゃない。教えることは、かき混ぜること、エネルギーを発動させること。アイデアを掻き立てること。質問して、疑問を呼び起こして、光をあてる。それは、離れていない、今ここでできること。
それでも、相談を重ねてオンライン授業の体制を整えていく。しかし、実際のネット授業は大変。生徒たちとの宿題のやり取りでも時間がかかってしまう。
時は過ぎ、だんだんと春が近づいてくる。生徒たちと学校に一緒にいた時を懐かしく感じ始める。オンラインと教室での授業はやはり違う。
また1週間が過ぎる。徐々に慣れていく。しかし、2人の生徒と全くコンタクトできない。電話したり、メッセージを送ったりするが音沙汰なし。携帯電話がない生徒。パソコンやネットがない生徒。あっても親が使わせない生徒。
やはり、オンライン授業はすべて上手くいっているわけではない。家で授業を受けられない子どもが、たとえわずかであってもいては駄目。全員が受けられないと意味がない。
今の隔離された状況下で、今までの些細な営みがどれほど大切なものであったかが分かってくる。
さいごに
26名の作家が描くイタリアの自宅隔離生活に関する電子書籍『Andrà tutto bene (きっと上手くいく)』の一部をご紹介してきましたが、本書はイタリア語の学習にも役立つのではないでしょうか。
すべて短編作品であり、気になる作家やタイトルのエッセイ等から読み始めることもできますので、寄付にもなりイタリア語学習にもなる本書を手に取ってみてはいかがでしょうか。
なお、イタリアのAmazon.itに登録してこちらの電子書籍を購入することもできるようです。