イタリア語ができなくても?イタリアの大学に正規留学 【連載第二回】 学生生活編①

イタリア語ができなくても?イタリアの大学に正規留学 【連載第二回】 学生生活編①

YASUE

初めてのイタリアは仕事で訪れたペルージャ。以来たびたび日伊を往復すること5年、離職してボローニャで大学院生に。卒業後もそのまま在住。現在は映画の仕事の傍ら、大好きな絵本と海外育児のあれこれについてブログを綴る。 linktr.ee/yasue

はじめに

2018年秋、イタリア語ができないまま仕事を辞めて2年間のイタリア正規留学に踏み切ったわたし。入学した先は英語で履修が可能なボローニャ大学マネジメント学部の修士課程でした。

一年目はしばらくいろんなことに翻弄されてばかり。二年目に入るころには慣れが出てきたものの、より専門的になった講義に相変わらず勉強漬けの毎日。

やがてイタリア全土がロックダウンされてからは調査研究に痛手を受けながらも修士論文に取り掛かり、久しぶりの、そしておそらく人生最後の学生生活は思わぬ形で幕を閉じました。

前回のお話はこちらから
イタリア語ができなくても?イタリアの大学に正規留学【連載第一回】

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連載第二回目の今回は、そんな大学院での日々を振り返ってのお話です。

イタリアの大学での学生生活

多国籍なクラスメイトに、ただ一人の日本人

わたしが入学したコースには、アートマネジメントや文化政策を学ぶために世界中から30名ほどの学生が集まっていました。そのうちおよそ半数がイタリア人。ボローニャ出身の人はいませんでした。残りは欧州各国、アジア数か国、アメリカからの留学生。

一学期だけ一緒に勉強した単位互換留学生も合わせると、20か国以上からのクラスメイトと知り合ったでしょうか。これほど多国籍な環境で学べたのは英語での履修コースだったことが大きかったと思います。

そんな中、日本から来たのはわたしだけ。ちなみに、ヨーロッパ屈指の学術都市ボローニャにいながら学内外で他の日本人留学生に出会うことは2年間で一度もありませんでした。

少数派の社会人留学

入学時30代前半だったわたしはクラスで二番目に年長で、同級生の大半はつい数か月前まで大学生をしていた20代前半という若さ。一度社会に出てから学びなおしに来た人は少数でした。

イタリアの大学院進学率は少なくともわたしが大学生をしていたころの日本より高いようです。学部卒の就職難が一因という話も聞いたことがありますが、本当のところは調べてみないとわかりません。

自分よりひとまわりも若いクラスメイトと机を並べることは入学前から覚悟してはいましたが、ジェネレーションギャップをいろんな場面で感じたことは否めません。それでも数々の課題を一緒に乗り越えるうちに、年齢や国籍の違いなんて関係なく絆が深まりました。

畑違いの学問に、試される英語力

高校生のころから早々と文系畑一筋を歩んできたわたしが挑んだ修士課程は、アートマネジメントといえど土台にあるのは経済学で、理系色の強い科目も多く履修しなければなりませんでした。

また、何年も英語を使って仕事をしてきた語学力に自信はあったものの、未経験分野の学術英語はまた別。経済学の講義では見慣れない数式に躓き、日本語でも苦手な会計学の演習は恐怖そのもの。おそらく一生使わないであろう統計分析ソフトを操れるようになった数か月は、今となっては良い思い出です。

それにしても、クラスメイトの雄弁で頭の回転が速いこと。英語のネイティブスピーカーもいるクラス全体の議論はいつも白熱。

発言はどちらかというと指名されてからという文化で教育を受けてきたわたしは、一度マイクを手にしたら延々と話し続けるクラスメイトに圧倒されつつ、回数は少なくてもなるべく一目置かれるような発言ができるよう心がけていました。

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能動的に学ぶということ

海外留学の体験談ではよく聞くことですが、毎回の講義は予習ありきで積極的に質問し議論に参加することが求められます。次の講義の趣旨をしっかり把握したうえで自分なりの意見や疑問点をある程度用意しておかないと、授業についていけないだけでなく的外れな発言をする羽目になってしまいます。

毎回、予習復習に課される何十ページもの課題図書や学術記事。その量、時には並行して進行中の試験勉強やグループプロジェクト、論文などと重なって、なかなか一息つく暇もありません。毎日眠たい目をこすりながらいろんな学術論文や分厚い本を読みふけっていました。

コロナ禍で迎えたひとりぼっちの卒業

そんな奮闘の日々がやっと一段落したのが入学して1年半が過ぎた2020年の3月。数科目の試験と修士論文のリサーチを残し、もう講義室へ通うこともなくなった直後、コロナウイルスの蔓延によりイタリア全土がロックダウンされました。

それから半年、いろんな制約がある中でなんとか修士論文を書き上げ10月に卒業。自宅の一室からオンラインで臨んだ口頭試問を終えてスクリーン越しに修士号授与を言い渡された後は、月桂樹を冠って(※)夫と記念撮影をしに大学近くの旧市街を歩きました。

※イタリアでは”卒業=LAUREA”という言葉にかけて、月桂樹(ラテン語でLAURUS)の冠で卒業する伝統があります。

なお、イタリアの大学院では論文が指導教授に認められ次第、年度内に複数回行われる卒業試験から希望する回に一度だけ申し込み、口頭試問で論文が認められれば卒業となります。

本来なら10月と12月は卒業数が最も多く、口頭試問も声援が飛び交う中でとても盛り上がるらしいのですが、この日在籍していたコースから卒業したのはわたしだけ。

思いがけずたったひとりで迎えた2年間の締めくくりの日。当日もそばで支えてくれたイタリアの家族がいなかったら、どんなに淋しい思いをしたことかわかりません。

今も同級生の9割近くがロックダウンの影響で卒業に必要な単位の取得が大幅に遅れ、年度内最後となる3月の卒業試験に向けて頑張っています。引き続きオンラインでの試験となる確率が高く、ちゃんとしたお別れ会もしないまま実家や祖国に戻ってしまった彼らの多くとは再会の目途が立たないままです。

次回予告

さて、今回は大学院での体験を前回より具体的にお話ししました。ほかにもイタリアの国立大学ならではのシステムや日本の学生生活との違いで感じたことをお伝えする予定でしたが、長くなってしまったので次回に持ち越します。どうぞお楽しみに。

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