前回の記事は、ヴェネツィアへの愛を叫ばせて頂きました。
続きを見る迷路?迷子?それでOK!視点を変えて旅してみよう in Venezia
今回は、イタリア人の性格について私の経験などから少し考察できればと思います。
イタリア人全員が全員、同じ性格という訳ではなく、勿論、人それぞれであるということを念頭に置いておきます。それでは、どうぞお付き合いのほどを。
イタリア人って?
皆さん、イタリア人と聞くと、どのようなイメージをお持ちになりますか?
陽気で人生を楽しんでいる? もちろん当たりです!
その通りで、人生を楽しんでいる方が多いと、私も、実際感じていました。
・・・この感染症までは・・・
イタリア人は私から見ると多少無鉄砲なところがあるイメージがあり、ロックダウンで自宅軟禁生活を命じられていても、マスクもせず外に出て、集団で過ごしている方が多いと思っていましたが、実際は大人しく、家で過ごしていた方が多かったようで、驚きです。
ロックダウン下では、道ですれ違う人の少なさ、交通量が極端に少なく静かすぎる道路、そしていつもならあちこちから聞こえるクラクションのけたたましい音が全く聞こえない、おまけに空気に街路樹の緑の香りが混じっている・・・
続きを見るイタリア人に聞いた!あなたのお気に入りのマスクは?
そして、
イタリア人って、意外と従順で真面目なところがあるのかなと、思い始めました。
しかし・・・マスク・手袋の道路へのポイ捨てが増えています。
もちろん、イタリア人だけではないと思いますが、少し残念なところですね。
なぜ、どうしてと思う出来事、そして疑問・不思議
私がイタリアに来て間もない頃、電車内で中学生位のイタリア人男子に、
「チネーゼ!チネーゼ!(中国人!)」と言われました。
・・・またか・・・と思い、
「私は、日本人ですよ。」
と言うと、彼は開き直り、
「それが?」
の一言。それ以上、彼は何も言いませんでしたが、イタリアでは、このようなことは、たまに起こります。
今では、気にしなくなりましたが、当時は・・・
1)なぜ、思うことをすぐに口に出して言わないと気が済まないのだろう?
2)たとえ思ったとしても、なぜ「言うことを控える」ということをしないのだろう?
3)なぜ、「言って良いこと」と「言ってはいけないこと」を一度考えてから、「言う(言葉に出す)」ということを、しない(出来ない?)のだろう?
と、不思議に思っていました。
そして、数年後、ローマの地下鉄に乗っているときに面白いことが起こったのです。
ある夏の雨の日の出来事
お年を召された白髪のイタリア人男性(服装や体形がUgo Fantozziさんというコメディも演じられるイタリア人俳優にそっくり!)が、地下鉄に傘を持って乗車してきました。
その時、あまり乗客がおらず、座るのかなと思っていたのですが、立ったまま、閉まった乗降口に傘をもたせかけました。
地下鉄が出発。その瞬間、
"パシャン!"
と、その傘が床に倒れた一秒後、
"MOR××××× TUA!!!(モル××× トゥーア!!!)
(あなたの×××家族×××!!!亡くなられた家族に対する良くない言い方)"
(ローマのきれいでない方言です Parolaccia Romana)
と、傘に向かってイタリア人ジェスチャー(手を挙げる)をしながら、大きなしゃがれ声で激怒。
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その声は車内に響き渡り、流石に驚きましたが、
・・・なるほど。傘にも家族がいるんだ・・・ そして、この文はこういう時にも使用出来るんだと、妙に納得。
その方は、傘が「倒れたこと」に対して、真剣に怒っていましたが、
私は、次第に「傘の家族」という言葉が頭の中を駆け巡り、もう笑いをこらえるのに必死。
その後、まだくすぶり続けている怒りと共に、今度は、
"Vaff××××××!(ヴァッフ×××××!)" (これもまた、きれいな言葉ではないです)
と言いながら、やっと倒れた傘を拾い上げていました。
その間、他の乗客はというと、特別何の反応もなく、ごく普通に座っている。
大声と大ジェスチャーを傘に向かって放っているにも関わらず、驚いている風でもない。
周囲の方々も、この状況をごく自然に受け入れている感じがしました。
人間相手はもちろん、傘をも相手にしてParolacciaを真剣に言っている姿が何とも滑稽で面白く、イタリア人らしいと思いました。
イタリア人が集まると・・・大変です
日本食を用意し、イタリア人の友達を数名、自宅に招いた時の出来事。
お寿司をテーブルに出した瞬間、
「この黒い外側に付いているものは何だ?」
「食べても大丈夫なのか?」
「日本語で何て言うんだ?」
「その黒いものには、どんな栄養があるんだ?」
「体に良いものなのか?」
「その黒い物は、美味しいのか?」
等々・・・海苔について各々が質問を発し、そして、誰もその質問を聞いていない。
「言葉のキャッチボールが大切です」「人の話は最後まで聞きましょう」という日本の言語教育を根底から覆す出来事が目の前で繰り広げられます。
会話同士が重なり合い、誰がどの質問を発したのか、分からなくなる。
言葉の海・文章の波に溺れそうになりながら、もがいていたのは言うまでもありません。
しかし「考え・思い=即、言葉」は決して悪い側面だけではありません。
例えば、お家にお邪魔したときに、日本だと出して頂いたものを必ず食べ切らないと失礼に当たるということですが、
イタリアだと「要りません」とはっきり言ってお断りすることができます。
相手も「無理に食べさせて、後で気分が悪くなるのは、良くない!」と考えているそうで、気分を害することもないそうです。
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まとめ
思い・考えを即、言葉にするというのは、イタリア人にしてみると当たり前のことで、性格として「あまり包み隠すことがなく、はっきりと言う人が多い」のは確かです。でもそれが一概に悪い事ばかりではないのも事実。こちらの考えを伝えることで、相手側も広く受け止めてくれます。
皆さんにも私が地下鉄で体験したような楽しい出来事(失礼かもしれませんが)を、是非次回イタリアにお越しになった際に味わって頂きたいと思います。
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