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『郵便配達は2度ベルを鳴らす』(1942)/『無防備都市』(1945)/『戦火のかなた』(1946)/『揺れる大地』(1948)/『アモーレ』(1948)/『ストロンボリ、神の土地』(1950)/『ベリッシマ』(1951)/『ウンベルトD』(1952)/『カビリアの夜』(1957)/『アッカットーネ』(1961)/『輝ける青春』(2003)/『人生、ここにあり!』(2008)/『暗黒街』(2015)/『おとなの事情』(2016)/『いつだってやめられる 10人の怒れる教授たち』(2017)/『LORO 欲望のイタリア』(2018)/『シチリアーノ 裏切りの美学』(2019)
巨匠監督コラボを作品を特集していますが、今回はその作品の中でも少し番外編です。
『ストロンボリ 神の土地』制作秘話
『ストロンボリ 神の土地』(1950年)というロベルト・ロッセリーニの作品。ハリウッドで花を咲かせていたイングリッド・バーグマンが、ロッセリーニにラブコールを送り、初めてこの2人がタッグを組んだ作品です。
この作品でも実はフェリーニが、ロッセリーニの下で働いていました。しかし今回はそのフェリーニの仕事ぶりに触れるのではなく、この制作秘話をお話しさせてください。
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イングリッド・バーグマンが愛したロッセリーニのネオレアリズモ映画<その2>
ヒロインはイングリッド・バーグマンではなかった
イングリッド・バーグマンが主役を飾った本作品ですが、実のところ、当初アンナ・マニャーニ主演を想定していた作品であったことを皆さんはご存知だったでしょうか。これはかなり驚きの事実です。
イングリッド・バーグマンが現れる前は、ロッセリーニとアンナ・マニャーニは愛し合っていました。ロッセリーニ監督の『無防備都市』(1945年)で2人は大成功を収めていましたし、公私共々パートナーとして良い関係を続けていました。アンナ・マニャーニはロッセリーニからプレゼントされた犬を溺愛していました。
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ロッセリーニは1949年、イングリッド・バーグマンからラブレターをもらいます。そして調度同じ頃、ニューヨーク映画批評家協会賞外国語映画賞受賞の連絡をもらいます。その授賞式に出席するためにロッセリーニはニューヨークへと旅立ちました。そのとき、なぜなのでしょう、彼は「犬の散歩に行ってくる」とアンナ・マニャーニに言い残し、そのまま空港に向かったそうです。
アメリカから帰国したときには、もうすでに彼はイングリッド・バーグマンと、彼女の出演契約書を携えて空港に降り立っていました。
この文脈で、1948年に撮られた『アモーレ』を見てみると面白いです。第一部のコクトーの戯曲をベースとした話は、なんだか隙間から、ロッセリーニに未練がましいアンナ・マニャーニの様子を覗いて見てるような気持ちにさえなります。事実この主人公のように、アンナ・マニャーニは依存的で粘着質な性格だったといいます。憶測の範囲を超えませんが、イングリッド・バーグマンからラブコールをもらう1年前、案外ロッセリーニのアンナへの愛はもうすでに冷めていたのかもしれません。
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この後バーグマンとロッセリーニの不倫関係は世界中から非難されます。バーグマンには子供もいましたし、ハリウッドから離れてしまったこと、彼女の清純なイメージにすがっていた世界中のファンが怒ってしまったのです。しかし彼女は女優という仕事を愛していたし、自分のやりたいことにとても忠実だったのだと思います。歯医者である彼女の夫は家父長制意識の強い人で、妻は家にいるべきと、彼女が女優であることに非常に反感を持っていたと言います。
『ストロンボリ』の元祖?コピー作品?『噴火山の女(Vulcano)』の誕生
さて話は戻りますが、ロッセリーニが噴火山の島でアンナ・マニャーニを主演に据えた映画構想を練っている頃、実はドキュメンタリー映像を得意とするPanaria Filmの若手スタッフから、ユニークな撮影方法として、水中カメラ撮影の提案がありました。ロッセリーニはこれに何かしらのヒントを得たといわれてはいますが、結局『ストロンボリ~』には彼らを採用しませんでした。
怒った彼らは、一緒に提案したロッセリーニのいとこのRenzo Avanzoとともにハリウッドへわたり、このアイディアをアメリカの監督に売り込みに行きました。そしてウィリアム・ディターレ監督がマニャーニ主演のこの脚本のまま引き受けたわけです。彼らは『ストロンボリ~』と同年に、ストロンボリ島の目と鼻の先の同じく噴火山島の「ヴルカーノ島」にて撮影を開始しました。その名も『Vulcano』。
これは当時なかなかのスキャンダラスなトピックでした。ロッセリーニとイングリッド・バーグマンとアンナ・マニャーニの三角関係は「La guerra dei vulcani(噴火山戦争)」とまで各社新聞などで報道された程です。
両作品はスキャンダルの影に隠れてしまい、当時正当な評価を受けることはできませんでした。しかしとても画期的な、そして双方イタリアネオレアリズモ の血を引く作品であったと私は思っています。コピー作品である『Vulcano(噴火山の女)』でさえもです。
これからご覧いただくとお分かりになりますが、あらすじの出発点は大変類似しています。主役がイタリア人か外国人かに変わったことで物語は少しずつ変化し、ロッセリーニの噴火山への思いも相まって、最終的なテーマは双方かなり違います。この2作品を比較しながらそれぞれの面白さを実感いただければと思います。
両作品の紹介
『噴火山の女(Vulcano)』(1950年)
あらすじ
マッダレーナはVulcanoに帰郷する。これはナポリで娼婦として働いていたところを捕まって、連れ戻された強制帰国であった。この島は田舎で貧乏で、本当に閉鎖的な島だったので、若い頃夢見て島を出た女が娼婦として出戻ってきたというニュースが瞬く間に島中に広がり、女と彼女の家族が島民からひどい仕打ちを受け続ける。島民は彼女たちに仕事をくれなくなった。そんな中、ある男がかなり給料のいい仕事を突然マッダレーナと妹に依頼する。
解説
『ストロンボリ 神の土地』をご覧になったことがある方は、このあらすじがかなり似ていることを理解されたかと思います。
しかし一言でいうと、本作品は噴火山を舞台にしつつ、噴火山をテーマにしませんでした。ロッセリーニの構想、アイディアが伝わっていなかったところなのだと思います。ハリウッドに売り込みに行った映画スタッッフたちはドキュメンタリー映像を得意とする人たちでした。そのため水中カメラでの撮影をネタをメインに売り込みに行きました。それをいかに活用するかに重きを置かれている気がします。
そのためカジキマグロを獲る漁業のシーンは圧巻です。このリアリティはまさにドキュメンタリーのようで、一方ネオレアリズモ のような人間の目線で生活を淡々と追う感じではありません。もっと自然に寄り添った形の映像になっています。ネオレアリズモ から生まれた新しい切口。こういうシーンを物語中取り入れたのは当時かなり画期的だったと思います。
アンナ・マニャーニ節も見逃せません。これは彼女にしかできない演技でしょう。『無防備都市』で見られた火山灰の崖を駆け下りるシーンは圧巻です。社会の渦の中で、不可抗力的に弱い立場になってしまった者の底力を演じるのは、もうこの人をおいて右に出るものはいません。アンナ・マニャーニの闘争心がそのまま表れた挑戦的な作品です。
しかし残念ながら、不運な映画だったと言わざる得ません。『ストロンボリ~』よりも一足早く撮影が終わり、試写会を開催したものの、途中でフィルムが切れてしまって散々だったようです。そして数日後にロッセリーニとバーグマンの間に子供が生まれました。話題はすぐそちらにかっさらわれてしまい、『Vulcano』は忘れられた映画になってしまいました。
ですので個人的には和訳されたものが現存していて狂気でした。タイトルが『噴火山の女』なんてなってしまっているほど、当時は彼女の激しい演技とロッセリーニに怒り狂っている様子が重なり、強烈なイメージとなってしまったのかもしれません。(”Vulcano”というのは確かに”噴火山”のイタリア語訳なのですが、しかし先ほど述べた通り、これは”Vulcano"という島の話なのです。)
『ストロンボリ 神の土地(Stromboli)』(1950年)
あらすじ
戦後、故郷のリトアニアに帰ることができず、イタリアの難民キャンプにいるカーリンは、その地から解放されたいがために、言い寄ってきた男と安易に結婚してしまう。彼はStromboli出身の漁師だった。
2人はStromboliで暮らすことになったが、田舎の保守的な島民たちは外国人の彼女をなかなか受け入れてくれない。島になじもうと、誰とでもオープンに付き合おうとするカーリン。しかし世間の目を気にする島民たちは、そんな彼女を「はしたない」と罵り虐め、精神的に追い詰める。とうとう彼女は一人で島を脱出することを決意するが・・・。
解説
『噴火山の女』が弱きものにスポットライトをあて、民衆を味方につけたスペクタクルな映画といえるならば、結局『ストロンボリ~』は、その対極に位置する映画となったと考えていいでしょう。彼の映画はやはり詩的です。映像が、脚本が、俳優の演技が、すべて研ぎ澄まされてこの作品に乗っかったような、そういう感覚があります。やはり芸術性の高さとしてはロッセリーニに軍配が上がると言えるでしょう。
これはあくまで私の想像なのですが、きっとロッセリーニは噴火山を自身が見て、頭の中が真っ白になって、全感覚から溢れるように「おお、神よ」と言葉が漏れてしまったそんな経験があるのではないでしょうか。それが作品の中のバーグマンのセリフ「Oh...Dio...」につながっているのではないでしょうか。それがどういう気持ちなのかここにはあえて言語化しませんが、皆さんにもこういう経験があるのではないでしょうか。
この「神」という存在は、おそらくキリスト教の神ではありません。ストーリーの中で、精神的に病んだバーグマンは神父のもとに駆け付けますが、結局彼女の心は救われなかった。人間が苦しい時に求める、おそらくどの宗教にもない次元の「神」だと推測します。
これを見て思い出すのは、1952年のロッセリーニの映画「ヨーロッパ 1951年」という映画です。この作品もバーグマン主演ですが、このヒロインは息子の死をきっかけに、奉仕活動に熱心になります。政治も宗教倫理も社会道徳も関係ない愛に基づいて、彼は聖女のようになります。これをアンドレ・パザンの『映画とは何か』の文章を引用すると、
非宗教的な聖性という、すぐれて現代的なテーマもまた、ロッセリーニ自身の精神的経験からおのずと引き出された
きっと彼はいつからかこのような強い思いが、噴火山に対してあったに違いありません。それゆえ、この映画の本当の主役はバーグマンではなく、噴火山です。そして噴火山を登るバーグマンのお腹には、新しい命が宿っていました。
さいごに
いかがだったでしょうか。皆様にこれらの映画に興味を持っていただくためにも、先に作品の裏に潜むゴシップ的な話を紹介してしまいましたが、まずはまっさらな気持ちで『ストロンボリ 神の土地』を見ることをお勧めします。
そして『噴火山の女』を見て、それぞれの監督が何を重要視していたのか、それぞれの良さを見つけながら鑑賞してみると面白いです。そして当時のイタリア映画とハリウッド映画の違いなんて観点で見てみるのも興味深いかもしれませんし、バーグマンがロッセリーニに入れ込んだ理由も自ずとわかるかもしれません。
※参考資料 Francesco Patierno監督『La guerra dei vulcani』
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