イタリア映画祭2021『靴ひも』Lacci;罠;策略;関係

イタリア映画祭2021『靴ひも』Lacci;罠;策略;関係

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イタリア人の夫と息子と東京暮らし。日本にいながらもイタリアの食卓を再現したくて研究中。またイタリアの小説や映画を日本にもっと普及できればと、日々記事を書いています。

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『靴ひも』(原題:Lacci)2020年

イタリア映画際2021にて本邦初公開

イタリア映画祭2021がオンラインにて今年も開催となりました。4月30日〜5月5日 東京 渋谷ユーロライブにて上映の予定でしたが、今回の緊急事態宣言を踏まえ前日に急遽中止に(権利の関係で延期は不可)。そのためオンラインにて、1部:5.13[木]~6.13[日](新作のみ) 2部:6.17[木]~7.18[日](過去作含む)というシステムでの開催となりました。

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さて話題の『靴ひも』(原題:Lacci) ダニエーレ・ルケッティ監督が本映画祭にて日本初上陸しました。本来ならばイタリア映画祭2021のオープニングにはこの映画が選ばれていたかもしれません。

ドメニコ・スタルノーネ原作『靴ひも』

ドメニコ・スタルノーネの原作をすでに読まれている方もいらっしゃるかもしれません。関口英子さんによる翻訳(ちなみに映画も関口英子さん字幕制作)ですが、映画化の前にイタリア文学の小説が和訳されているケースはかなり稀です。インド系アメリカ人でイタリアを第2の母国と称しているジュンパ・ラヒリが、原作に惚れ込み自ら英訳して世界中でベストセラーになり、はるばる日本にまでやってきました。評判の新潮クレストブックスで、装画の都築まゆみさんの目線が定まらない家族像がなんともいえずこの物語を捉えていて、また一方で小説を読み進める中での読者の想像をハイジャックしない程度で、絶妙です。

そして原作を読まれた方は感じられたかもしれませんが、実に映画化が難しい作品です。難しいとされる理由は、本作が3つのLibro(本)から成り立っていることに大きく起因します。

何が問題かというと、3つの話それぞれで1人称が変わり、ストーリーテリングの方法も変わり、全く別の話と思わせる書き方だからです。第1の書は(日本語ではこのように訳されました)書簡文書の体をとっていて、妻が夫に一方的に送る手紙によって、この夫婦の関係性がじわじわと浮かび上がってきます。ただそれには一度も返信がなく、妻の面から見える夫婦の姿、夫の姿でのみ語られます。この書簡形式を映画という媒体で退屈させずにどう表現するかがまず第1の課題であり、脚色の醍醐味であったと思います。

第2の書になると、時代も変わり、突然老夫婦がバカンスに行く話になります。1人称はその夫で、内省的に冷静沈着な語りでストーリーを紡ぎ出します。これは誰・・・また新しい登場人物なの・・・?それとも第1書の夫なの・・・?と頭をよぎりますが、そうなるとこの奥さんは第1書の妻・・・?しかし妻の感じも性格も結構違う・・・では夫の不倫相手・・・?けどそもそも夫もなんとなく第1書での想像と違う・・・不倫の話も出てこないし、では誰?

第2の書の半分以上読み進めてやっと、この”夫”は第1の書の”夫”のその後の姿であることが確信となります。このサスペンス感もこの小説の面白さの一つで、これを映画で果たしてどうやって表せるのかというのがまた1つの課題です。なぜなら小説では登場人物の名前もなかなか呼ばれなければ、容姿がほとんど描写されていないため、第2の”夫”が第1の”夫”であることがなかなかわかりません。一方、映画は登場人物の描写を、しかも視覚的に是が非でもしなければなりません。この映画という媒体でこのサスペンスをどう追えるようにするのかはやはり工夫が必要です。

そして第3書はまた全く別の登場人物が内省的に語り始めます。ここでまた新しい見解が生まれ、3者3様の立場から答え合わせのようになっていくのです。

ちなみに原題の”Lacci”を日本では『靴ひも』と訳されました。それはこのストーリーのキーともいえる靴ひものエピソードに起因するものです。しかし辞書を引くとわかるとおり、転じて「罠、策略、関係、きずな」という意味が使われています。これはイタリア語ならでは特徴を生かした言葉遊びでもありますが、このLacciがこの物語の中にたくさん張り巡らされています。ちなみに英訳版もシンプルに「Ties」。和訳の方が実際のエピソードに寄った形となり、英訳の方がストーリーの隠喩も暗示できるようなタイトルとなっています。この単語に関しては英語≒イタリア語となっていますが、日本語訳はさぞかし考えあぐねたことでしょう。

この話はこの言葉遊びをいかしたタイトルからその意味する主題に紐付き、じつに巧みな物語展開がされています。無駄が削ぎ落とされスピード感があり、読後はすっきりとした清涼感があります。そして言葉の端端から滲み出る重い話とは裏腹に実に軽やかな雰囲気があり、映画版はこれらを守り抜いた、本当にこれはさすがの大御所ルケッティ監督のなせる技という素晴らしい作品になりました。よく原作が映画化する中でのギャップに絶望することも多い(個人的には映画作品として駄作でなければそれはそれでいいと思っていますが)中、本作はうまくスタルノーネの文章を立体的に浮かびあがらせています。

あらすじ

舞台は80年代ナポリ。一見幸せそうな四人家族、夫と妻とその娘、息子。しかし夫から突然の「ある人と関係をもった」との告白。最初はその不倫を、ちょっとしたアクシデントであった、取るに足らない関係であるという主張を妻に対してするものの、実はその愛人との関係が自分にとって真の愛だと気づき始める夫。

それを薄々と気づきながらも、とにかく今までの四人家族の形態を取り戻そうと必死になる妻。しかし夫と妻、子供達の境界線はどんどんと決裂、決定的なものになっていき、妻は次第にノイローゼになる。

ダニエレ・ルケッティ監督の華麗な脚色

3書にわたり切り替わる登場人物

ではルケッティによる脚色はどのように行われたのでしょうか。まず書簡や内省的な語り口で描かれる物語を映像化すると、登場人物のナレーションがはいりがちです。しかしこの作品はナレーションは一切なく、語り手の話から訥々と紡ぎ出されるイメージをそのまま映像化しています。目線は妻からであることも意識しながら、書簡中の彼女の意見や回想は、役者のセリフに落としていきます。

また小説にのっとって第二書は、途中まで全く別の登場人物が出てきている、と思わせる必要があります。そのためにルケッティがとった策は、同一人物を全く別の役者に演じさせたことです。大抵、大河ドラマものでも時代が変われば同じ役者にメイクを凝らし、老けさせたり若返らせたりして、一人の登場人物を演じさせます。それは異なる時代でも同一人物であることを強調しなければならなかったからです。

しかしこの映画は逆に、80年代と現代で同一人物を全く異なる別人のように思わせる必要がありました。人生生きていく中で、人は容姿も考えも性格も変わっていくのだと伝えることはこの話のある意味使命でもありました。

確かに条理的なことで、この点を強調できたのは映画ならでは。その表現方法としてこれは大変有効でした。ルイジ・ロカーショとシルビオ・オルランドなんて全くタイプの違う俳優を同役に採用し、キャスティングの妙ったらないです。そして演技の中でその2人の何か共通のそぶりなどで同一人物だとじわじわと気づかせる、これは流石の演出でした。

聴覚からも刻み込むLacci

またこの映画のテーマ曲ともいえる、オープニングのダンス曲『レットキス』(フィンランドの民謡。ケスラー姉妹が歌詞をつけ大ブームに。)が味を出しています。この選曲もルケッティ監督の洗練された感覚が光っています。小説で言う第1書、2書、3書のシーンの切り替わりの点でこのダンス曲が用いられているのですが、この曲は魔力のごとく抗えないような何かを持っています。

ルケッティは実はこの映画には一切BGMをつけないつもりであったようなのですが、80年代の曲をYoutubeで適当に聞いているうちにこれを選んだようで、この曲を使うために冒頭のダンスシーンをいれました。なんというのでしょう、一見明るいダンス曲なのですが、短調のずっと同じフレーズがエンドレスかと思うぐらい繰り返し繰り返し使われます。

そして「レットキス」とはフィンランド語で「列になってつながる」という意味のようです。つながってつながって・・・それこそもうLacciのテーマ曲としか思えません。もう小さい頃からなぜか耳にしていて頭から離れない呪縛のような要素を持っています。これはこの小説が夫の浮気による家庭崩壊という重い題材であるにもかかわらず、どこか軽快さがある点や、最後の爽快感と絶妙に合っていて、またまるでこの家族のもつ呪縛を象徴しているようなのです。これを監督は無意識に選んだのでしょうか。

さいごに

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さて、いかがだったでしょうか。この辺で今日は失礼します。この物語の「Lacci」とは、そして彼らが何に呪縛され、何を失ってしまったのか、実際にご覧になって考えてみてください。この映画は夫婦の、そして家族のアナトミーで、皆さんにも思い当たる節があると思います。

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