イタリア映画 特集記事
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『郵便配達は2度ベルを鳴らす』(1942)/『無防備都市』(1945)/『戦火のかなた』(1946)/『揺れる大地』(1948)/『アモーレ』(1948)/『ストロンボリ、神の土地』(1950)/『ベリッシマ』(1951)/『ウンベルトD』(1952)/『カビリアの夜』(1957)/『アッカットーネ』(1961)/『輝ける青春』(2003)/『人生、ここにあり!』(2008)/『暗黒街』(2015)/『おとなの事情』(2016)/『いつだってやめられる 10人の怒れる教授たち』(2017)/『LORO 欲望のイタリア』(2018)/『シチリアーノ 裏切りの美学』(2019)
著名監督コラボ作品の連載をしています。前回はロッセリーニxフェリーニ、今回はフェリーニからパゾリーニへのバトンとも言える作品をご紹介しましょう。
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作品はフェリーニ監督の代表作品のひとつ『カビリアの夜』。皆さんはこの名作はパゾリーニの存在無くしてできなかったことをご存知だったでしょうか。
フェリーニが採用したピエル・パオロ・パゾリーニという男
パゾリーニはもともと詩人でした。父はムッソリーニの命を救ったことで有名なファシスト、弟はその反面からかパルチザンとして内部抗争で死に、彼はたったひとりの家族となった母と共に貧しく質素な生活を送っていました。母の故郷のフリウリ語で書いた詩を発表したりする中で、学校教師の職にて生計を立て、彼はゆくゆくは文学者になるつもりでした。
戦後はまた母を連れて、ローマに移り住みました。その頃パゾリーニはホモセクシュアル的な世界にどっぷりとつかりはじめました。そのため彼はローマ郊外の場末事情を知り尽くしていました。
ローマでの人脈が人脈を呼び、パゾリーニは映画脚本にも関わり始めました。そして映画監督として高く評価されはじめたフェリーニが、ローマの夜の街に通じているパゾリーニに目をつけました。フェリーニはそのときローマの娼婦を主人公にした映画を構想していました。フェリーニはローマ方言、とくに下品な俗語には疎く、しかしその要素が次作に必要だったのです。「カビリアの夜」にて、パゾリーニは共同脚本として名を連ねました。
『カビリアの夜』
あらすじ
カビリアは独り身の娼婦。それも高級娼婦などではなく、ローマの郊外も郊外のガソリンスタンドの奥のちいさな 石造の家に住んでいる。彼女はある日突然恋人と思っていた男に川へ突き落とされ、バッグを盗られてしまった。
溺れて死にそうだったところを近所の少年に助けられるが、礼も言わずに男の所在を心配して探しに行く。男のことを信じて止まないカビリアだったが、娼婦仲間に諭され、悲しみ怒り、本名も仕事も知らない、少しだけ家に居ついたその男の所持品を焚火に投込み燃やす。そしてすぐに立ち直ったカビリアはまた夜の街へと向かった。から元気か、明るくマンボを踊るカビリア。
男に殺されそうになったところを娼婦仲間にバカにされ腹が立ったカビリアは自棄になって、高級娼婦ばかりが立つヴェネト通りへ行くと、突然有名俳優に誘われる。
解説
フェリーニは、この作品は『道』と同じく妻のジュリエッタ・マジーナからインスピレーションを得て生まれたと述べています。
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そしてそのイメージのままジュリエッタを主人公に据えています。それを聞いて納得、カビリアは『道』のジェルソミーナと非常にキャラクター的に似かよっているし、ストーリーの構成的にも似ているところがあります。
純粋な娼婦カビリアがみせる ”人生はお祭りだ!”
まずキャラクター的観点から。カビリアという娼婦はあまりにも純粋な女性です。あのような世界に身を置いているから、酢い甘いも知っているはずなのに、それでいて全く擦れていない女性なのです。下品でやさぐれた不良女みたいな態度をとるのに、性善説に基づいているのか他人を疑うことを知らない。何歳ぐらいの設定なのかは明確ではありませんが、若くはありません。それでいて彼女の内面的な部分はまるで少女、そうあの小柄な体格からもただの不良少女に見えてきます。
川に突き落とされたときのことを鮮明に覚えているにもかかわらず、そして死ぬところであったにもかかわらず、自分の気持ちを事実よりも優先して、男のことを心配します。本人の口から聞くまでは、彼が自分を突き落したなんて信じないといわんばかりです。
そして突き落とされたことに正面から向き合った後も、「あんな四万リラぽっちで恋人を突き落とすかしら?」と疑問に感じます。「お金に困っているんだったら、私に言えばそのぐらいあげたのに」とまで言います。するとフェリーニの映画に良く出てくる巨漢の娼婦仲間は「今時、五千リラでも川に突き落とすよ!」と言い放ちます。それだけどうしようもない人間たちが集まる界隈だったのです。
ちなみに昔のイタリア通貨”リラ”・・・4万リラとはどのくらいだったのか、正確な価値を説明するのは難しいですが、皆さんが一番わかりやすそうな同時代の例えを提示します。
オードリー・ヘップバーン主演の『ローマの休日』で、アン王女が帰るために1000リラを、グレゴリー・ペッグ扮するアメリカ人記者から借りるシーンがありますよね。それはドル換算すると1.5ドルと大した額ではありませんが、その1000リラで彼女は美容院で髪も切るし、サンダルも買い、最後ジェラートも買ってやっと使い切ります。当時のイタリアは物価が安いので、結構1000リラで色々できてしまいますよね。
そう考えると4万リラは結構大金だったといえるのではないでしょうか。カビリアはその日暮らしの娼婦でしたが、自分の愛に比べたらそんな大金も端金だったのです。
そしてカビリアはどんな苦境を経験してもすぐに立ち直るのです。自分が暗い気持ちになっていてもそれをすぐ忘れたかのように、明るく踊り出します。それはまるで道化師のようです、まさに『道』のジェルソミーナのようです。
彼女は最後病気で死んでしまいますが、それでも生きようとし続けていました。死にたいと思ったことはあっても結局意思としては生きることを選択しました。
カビリアもそうなのです。自滅したくなるような哀しい出来事が様々襲っても、結局生きることを選択します。終盤一瞬、カビリアの目はカメラ目線となります。彼女のピエロのような目は観客の同調を求めるようです(フランスの有名な映画評論家アンドレ・パザンは著書『映画のとは何か』の中で「これはチャップリンとジュリエッタのみ為せる技だと評しています)。
人間の生命力の強さを感じさせ、元気にさせてくれます。このテーマは、『8 1/2』のラストシーン「人生はお祭りだ」のセリフからもわかるように、フェリーニ作品にその後脈々と受け継がれています。
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フェリーニのキリスト教信仰への疑問
ストーリーとしても『道』と重なるところが多々あります。今回は2点だけ触れさせていただきます。
まずフェリーニのキリスト教に対する観点が垣間見える点。これは前回の記事『アモーレ 』でも同様に触れましたが、フェリーニという人物はキリスト教的隣人愛精神に富んでいる人ではありますが、一方でキリスト教の形骸的なところにはいつも疑問を感じているようです。この映画でもそういうシーンがあります。それは正直ストーリー展開的には不要な箇所ですが、彼の思いからか挿入されています。
カビリアはかつてキリスト教的”奇跡”が起こった教会へ、祝祭日に娼婦仲間と大所帯でお祈りに行きます。そこでは皆が、現世の自分のための願いを好き勝手お願いします。「自分の病気が治るように」「住民票登録がされますように」・・・そこにカビリアはまず疑問を持ちます。彼女は隣人のために祈りたかったのです。
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そしてその後皆でピクニックをしますが、皆特に自分のことを変えようとしません。神様に祈っても何も現実は変わりません。体たらくな欲望にまみれた皆の生活がまた続けられるだけです。これに嫌気が指したカビリアは怒りの矛先をどこにしていいのかわからず、教会の修道士たちを怒鳴りに猪突猛進走っていくのです。
『道』ではジェルソミーナの雇主のザンパノが、稼ぎがなく飢えているところに、修道院へ泊めてもらうことを思いつきます。そのお願いをするとき、形だけは自分が信心深かいことを表します。それはまるで修道女の足元を見ているようです。彼らは信仰上、貧しい民を救わなければいけないから俺たちを泊めてくれるだろうという算段で。そして最後には修道院にある高価な宝石を盗んで退散するのです。まさに恩を仇で返しました。
いつのまにか現代人は欲望にまみれ、ただ神に甘えている。キリスト教を信仰するということは何なのであろうと考えさせられます。とくにカソリックであることがほとんど当たり前なイタリアでは、そういうことに疑問を持つ人も多いでしょう。
天使的人間の存在
『道』にも『カビリアの夜』にも天使が出てきます。フェリーニの作品には天使の象徴のような人物が度々でてきます。『道』ではサーカスの綱渡り”イルマット”がそれに当たります。悪魔のようなザンパノに対して、優しい言葉と正論でヒロインに気づきを与える役どころです。
『カビリアの夜』ではお布施をもらいにくる修道士です。彼は「神の恵みを受けていない」と断言するカビリアへ「結婚をなさい。結婚こそ神からの恵みだ」と説きます。彼女はこれで、彼女の人生の目指すべきところは”結婚”だという認識を持ちます。
しかしフェリーニの描く天使は不思議なことに完璧ではなく、必ず幸せに導くものではないのです。「ザンパノはあんな奴だけど実はジェルソミーナを愛している。ザンパノを支えてあげられるのは君だけだ。」と説いたイルマットは、ザンパノに殺されそれを目撃したジェルソミーナは精神的な病に陥ってしまいます。
修道士のお告げで結婚を早まったカビリアはその男に騙されてしまいます。そこは彼のネオレアリズモ の血をひく現実主義的なところが全面に出ているようです。
さいごに
この映画の脚本はほとんどフェリーニによるもので、パゾリーニはセリフなどの監修をしただけだと、後にインタビューで語っています。しかしいかにもこの作品はパゾリーニの小説の雰囲気があるのです。そしてこの映画は彼の初監督作品『アカットーネ』へと繋がっていきます。その話は次回の記事にて書きましょう。
最後にフェリーニ著書の『私は映画だ(Io sono un film)』から自身の作品について表している言葉を引用したいと思います。スイス人のイエズス会神父、かつ映画の広報係のシャルル・レイネール博士に送った手紙からです。
”たぶん、私の精神的世界は、悪だけしか知らない人々に親切を尽くしたいというこの本能的な願望でしょう。彼らに希望をかいま見せたい、よりよい生活のチャンスをかいま観させたい、そしてどの人間の中にも、最もひどい悪意の人間の中にさえ、善性と愛の核を見つけたいという願望です。”
これはロッセリーニから学び、そしてパゾリーニへも伝わった精神だと思います。
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